ニックネーム:柴田保之
性別:男
年齢:56歳
障害の重い子どもとの関わりあいと障害者青年学級のスタッフとしての活動を行っています。連絡先は yshibata@kokugakuin.ac.jp です。

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2008年07月04日(金)
みんながはなせておたがいによろこびをわかちあうという夢
 5月に「ながいねんげつだった」と書いた34歳の男性のもとを再び訪れた。27年の関わり合いの時間があって、突然文字を綴った男性のことだ。今日は、800字を越える長文となった。
 言葉が使えることの喜びを繰り返し述べながら、「もしいっしょうはなすことができなかったらほんとうにどうなっていただろう」というような重い言葉も綴られる。そして、「×××(彼が入所している施設)のおともだちにもおしえてあげてほしいとおもう みんなもおなじようにかんがえているのにはなせずにいるのではなせるようにしてあげたいとおもう やっとやみからかいほうされたのだからみんなにもよろこびをわけてあげたいとおもう」と、まだ言葉を発せずにいる仲間のことに話が広がっていき、「×××にはよわいひとたちがたくさんいます つらいきもちでまいにちをすごしています ゆめは×××でみんながはなせて みんながおたがいによろこびをわかちあうことです」と夢を語った。素直に彼の気持ちになってみる時、明日にでもかなう夢のように思える。それは、誰もが願うこと、誰もが一度は願ってあきらめてきたことだ。彼が綴っていく文字を追いながら、本当にすぐにでもそんな日がくればいいと思いつつ、しかし、また、いくつかの越えなければならないハードルにも思いが及んだ。彼が閉じこめられていた「やみ」のことに本気で思いをはせるなら、彼の夢の切実さがいちだんと増してくる。ハードルのことなど考えている自分のなんと情けないことか。なすべきこと、進むべき道は、あまりもはっきりと見えているのに。
 彼は、さらに、「てをつかえたらみんなにことばでふまんをいおうとおもってきたけど やっとはなせたのだから ふまんをいうのはもったいないとおもう このことをみんなにつたえるのがさきで のぞみはひとりでもおおくのひとにはなせるようになってほしい ひとりでもおおくのひとによろこびをことばであらわしてほしい せいいっぱいいきていることをことばでつたえたいとおもう」、「よろこびでむねがいっぱいです よろこびでうまれてきてからきょうまでのくるしみがきえました よろこびでむかしのことをみんなゆるすことができます すばらしいはなすことは」と綴った。彼にとって苦しかった日々は、彼の心をけっして狭くしたのではなく、広い大きな心にしていたこともわかる。
 そしてさらに、「ふしぎです どうしてわかってもらえたのか どうしてだれもわかってくれなかったのにしばたせんせいはわかったのですか」と問われた。27年に及ぶつきあいの中で、わからなかったという事実や、私たち以外の多くの大人たちとの関わりの中でも話せる手段が与えられる可能性をほとんど誰からも見いだすことができなかったという事実があったにもかかわらず、なぜ今、柴田が突然? という疑問は当然のことだと思う。何か、もう胸がつまってこの問にはうまく答えることができなかった。
 最後は、「またあいたいです」と結ばれた。悔やんでも悔やんでもつきることのない過去の時間だが、これからまだまだ先に広がる未来を見つめようという彼からのメッセージと受け止めた。


2008年7月4日 21時45分 | 記事へ | コメント(1) | トラックバック(0) |
| 家庭訪問 |
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ひらかれる一瞬のすごさを感じました。27年とは…。憤懣ではなく希望を語る力に敬服しました、というよりうちのめされました。
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