青年学級7月6日のできごとその1
町田市障がい者青年学級での、起こったできごとから。
Mさんは、20代後半の男性で、学級ではいちばん障害が重いとされる人だ。学級に来るようになって5年ほどになるだろうか。最初は、まったくコミュニケーションがとれず、食事も口にしてもらえなかった。それが、少しずつ、こちらの言葉かけに答えてくるようになり、今は、食事も、食べてもらえるようになった。しかし、いったい、どんな心の世界が広がっているのか、未知数のまま、関わりは進んでいた。その彼に、昼食後、2スイッチワープロを出してみた。あまりにも遅すぎる挑戦だった。彼は、すぐにすらすらと文章を綴り始めた。
まず、始めに綴った言葉。
すてきなすいっちですね
くふうしていますね
これならできそうてす
うれしいです
彼がパソコンに綴るのを見て、感激した二人の女性に対して、何か一言書いてと言ったら
かわいい
あかるい
とそれぞれに返ってきた。
そして、彼の子ども時代から学童のグループなどで関わってきた先輩の学級生の女性(このときも、ずっと横で彼のことを見守っていた)に対して、
これまでいろいろありがとう
と綴った。
午後の活動が始まると、コースの仲間へこう伝えた。
いつもいっしょにかつどうしてくれてありがとう
すてきなうたがたくさんできましたね
くるしいきもちのかしはつらいけど うちかっていきましょう
すてきなかしですね
それぞれのみちをつくったときはやすんでいてざんねんでした
ことしはどんなかんじのうたをつくりますか
めのまえのくるしみだけでなくのぞみがわくようなうたがつくりたいです。
午前中の活動で、昨年度、2つのコースで作った歌「フォゲットダンス」と「それぞれの道」という歌を繰り返し歌っていたことを受けたものだ。学級ではめずらしく、この2曲は、みんなのつらい思いを歌にしたものだったので出てきた言葉である。
活動に参加しながら、パソコンで言葉を綴り続けた彼は、さらにこう語った。
ふしぎです
なぜかきもちがことばになっていきます
かのうせいはあるとはおもいませんでした
のぞんでもだめだとおもっていました
うたがうたえたらいいなとおもってきました
どうしたらうたえるか かんがえてきました
のぞんでもなかなかかないませんでした
そして、みんながメロディータウンという歌を歌い始めると、彼も、パソコンで歌うように、歌詞を綴っていった。歌のスピードにはついていけないが、歌い終わるまでに一番の歌詞を綴ることができた。
ながれるめろでいにゆめをのせて
いまわたしがかなでるわたしのうた
そして、また、活動に平行しながら気持ちが綴られる。
わかっていたけどことばではなせるとはおもいせんでした
ほんとうにかんどうしています
のぞみがかなってうれしいです
すばらしいですてがつかえるとはおもいませんでした
のぞみでした
ねがいをかなえられてしあわせです
うれしいです
「私のことはどう思いますか」と問いかけた若い女子学生のスタッフには、こんな言葉を綴った。
かわいいです
ひろいこころのもちぬしですね
けっこんしてください
でもよわいときにはたすけてあげましょう
おとこだからつよくないといけません
でもぼくにはちからがないからだめですね
めいわくをかけてしまいますね
すみませんぼくのかってなきもちだけをいってしまって
もうやめます
ねがいはふたりでどこかにでかけることです
ごめんなさい
だれでもいいです
そして、歌う歌のリクエストが始まると、
ともだちのうた
わたしのくるまいすおしてくれる
ともだちといっしょに
まちにでたいのところがすきです
以前から、彼は、この歌を好んでいた。
そこへ、他のコースが、七夕の短冊をもって、みんなも願い事を書いてほしいと入ってきた。彼も、願い事を書くことにした。
願い事は、
すなおなひとになりたいとおもいます
そしてさらにこう続ける。
ねがいごとがかけてかんげきしています
じぶんのことばでかけたのははじめてです
いいです じぶんできもちをあらわすことができて
うれしいです
活動は、もう終わりの時間が近づいていた。
きいてくれてありがとうございます
うたのかしをかんがえてくるのでよろしくおねがいします
帰りの集いで、今日のこのMさんの快挙についてみんなに報告した。誰もが、このことを喜んでくれた。この場所には、疑いのまなざしを向ける人は一人もいなかった。誰もが、心から、彼の喜びを共有していた。
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2008年7月7日 08時19分
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人とのかかわりあいの中では、意思疎通が図れるかで人を判断しがちなんだなと自分自身を反省するとともに、とても恥ずかしい気持ちになった。相手の意思が取れない、自分自身がわからないと、相手は、さっぱりわかってくれていない理解してくれない、理解する能力がないって思ってしまうんだろう。
私自身も伝わっているとは思いながらも、どこまで伝わっているかは自信がなかった。
こんな素敵な私にとって世紀の瞬間を目の当たりにして、人ってすごい!いかなるときも可能性を信じてがんばろう、何事も諦めないぞ!って気持ちとともに、感動しました。
彼は、私のことを表現してくれたけれど、私は、彼のことをどう表現できるのか。恥ずかしいと思う。
これからも、彼や彼女の言葉を聞きたいって思うと同時に、私にはなにができるのだろうって思いました。