ニックネーム:柴田保之
性別:男
年齢:56歳
障害の重い子どもとの関わりあいと障害者青年学級のスタッフとしての活動を行っています。連絡先は yshibata@kokugakuin.ac.jp です。

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2011年03月08日(火)
青年学級の成果発表会の日に
 青年学級の成果発表会のあと、みんなで集まった打ち上げの場所で
いろいろな人の言葉を聞いた。
 Mさんは、もう長いこと生まれ育った地域を離れて、施設で暮らしてきて、現在はグループホームで暮らしている方だ。まったく離せないというわけではなく、かなり上手にコミュニケーションもとれるかただが、細かな気持ちの表現はむずかしく、以下の詩もパソコンを用いた私の援助で初めて表現できたものだ。だから、彼女の内面にこれだけの世界が広がっているということは、誰にも理解されずにきた。今回は、いきなり詩を書いた。

   小さな冒険

ひとりで旅に出かけてみよう
私は雪の輪の中で
実のなる木になるために
小さな祈りをささげる
人間としてもう一度
若い冒険をしたいけれど
もう私には忘れてしまった過去のこと
冒険もだれかに私を何度となくじゃまされて
わずかな夢も奪われて
私はいつも用なしの寂しい実のならない木だった
しかし私も冒険にようやく旅立つ時が来た
ランプに明るい火がともり
涙もようやくかわいてきた
冒険に出る時は今だ
のんきにかまえていられない
望みをもって旅立とう


 次のSさんは、何度となく精神的に苦しんできた女性である。ある程度コミュニケーションをとれるけれども、Mさんと同じく、こうした内面の世界が広がっていることはほとんど知られていない。
 

人間だから夢がある
理想にみちた夢がある
わずかなあかりが見えている
わずかな未来がみえている
涙をふいて理想の夢をかなえるために
光をめざし旅立とう

つらいのは気持ちがうまく言えないことです。未来が開けてきました。勇気が湧いてきました。


 次のIさんは、Mさんと同じ施設からやはり現在グループホームで暮らしている男性である。最初に散文のように話したあと、祈りを聞かせてくれた。

 みんな言いたいことがうまくいえずに困っているのでわかってもらえてうれしいです。勇気をもらいました。人間としてぼくたちを認めてもらえる日が来ました。ぬいぐるみの人生にさようならです。理想的な方法ですね。夢のようです。人間として認められてよかったです。人間だから気持ちがありますので認めてほしいです。人間としての誇りをとりもどしたいです。よいぞくぞくする方法ですね。未来を作りたいです。ろうそくのあかりをともしたいです。よい願いを理想にがんばりたいです。夢のようです。ないけどときどきねがっています。願いはいつも詩のようです。

人間として生きさせてください
どうかみんなのようにりこうな頭をください
理想は遠いランプの光だけど
遠いばかりで届きません
よいぼくはわずかな希望を求めて
今、願いの祈りをささげます
毎日ちがうけれど何でも祈っています

 神様を信じているわけではないけれど祈っています、いつも。

 
 次のKさんは、MさんやIさんと同じグループホームで暮らす情勢である。最近青年学級にやってきた方で、まだ、言葉数は少ない方だが、コミュニケーションはだいたいとれる方である。 

 小さいころから人間あつかいされずに生きてきたのでうれしいです。望みは私の詩に歌をつけてもらうことです。

    白い望み

白い望みを願いにかえて
私は未来を待ち望む
小さい理想は私だけのもの
理想はとてもかなわないけれど
人間としてわずかに見える希望にむかい
私は勇気を忘れずに
理想にむかい望みのままに
理想の道を
困難なろうそくのあかりをともしつつ
歩んでいこう
ランプのあかりはまだともらないけれど
私は私の理想にむかい
小さな声を出しながら
わずかなわずかな私の希望をめざして
私は夜の闇を乗り越えて
理想にむけて旅に出る


 次のHさんは、ほとんど発語はない男性だが、やはり、同じ施設から現在はグループホームで暮らしている。

小さいころに見てきた夢を
もう一度取り戻すために
もしぼくに力があったなら
ぼくにも夢はかなえることができたはず
なろうとしてなったわけではない障害がぼくはにくい
なぜぼくの気持ちはだれにも届かない
未来の夢にぼくはひとすじの願いをたくす
小さい理想かもしれないが
ぼくは理想をいつまでも失うことなく生きていく
わずかな希望をたのみにして


 次のKHさんも、また、同じ施設からグループホームで暮らしている女性だ。発生がやや不明瞭なため、十分には気持ちを聞き取ることができないけれど、音楽が大好きで、聞くとすぐに踊り出す女性である。お母さんへの切ない思いを短いに詩に託した。

元気で過ごしているかしら
私のおかあさん
夏にはのどが渇くと水をくれ
冬にはかじかんだ手に息を吹きかけてくれた
何でも許してくれた私のおかあさん
元気でいるかしら


 最後のKTさんは、実は、一般就労の経験さえある男性だが、コミュニケーションも普通にとることができる方で、まさか彼がこの方法を必要としているとは思えなかったが、この間、一緒に飲んでいるときに、突然、「柴田さん、ぼくにもパソコンをやってほしい」と言い出して、確かに口頭で語っているものとは一味異なる気持ちを表現してきた。今回の詩は、半ば即興的につづられたものだ。

不思議な風がふいてきて
勇気がなんとかわいてきた
理解者は少ししかいないけれど
りんどうの花のようにみずからを何もかざることなく
娯楽のない世界をすなおに言い出すともなく生きている
忍耐の喜びを知るそんなりんどうのように
私たちも生きていきたい
忘れられない思い出のにおいをたよりにしながら
ぼくを育ててくれた両親に感謝しながら
誤解されてばかりだけど
楽な生き方ではないけれど
りんどうの花のように生きていこう


 

2011年3月8日 12時26分 | 記事へ |
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