ニックネーム:柴田保之
性別:男
年齢:56歳
障害の重い子どもとの関わりあいと障害者青年学級のスタッフとしての活動を行っています。連絡先は yshibata@kokugakuin.ac.jp です。

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2008年07月12日(土)
イチゴの子の誘惑
 コミュニケーションを閉ざされた心の中に作り上げられた想像上の存在について、多くの方々がいろんなふうに語ってくださる。しかし、そのほとんどが、自分に寄り添い、自分を助けてくれる存在だった。しかし、この日登場した存在は、少し違っていた。
 ○○さんは、現在高校生の女の子だが、この日は、次のような文章をまず綴った。「いちごのこ(イチゴの子)に よくふくらむようこちらにこいといわれても わたしはいこうとはおもわない なぜなら ちいさなときからにくしみをかんじてきたきもちがあるから いつだってすなおなきもちでは いのれない どうすればいいのかわからないけれど ともかくうまくやっていこうとおもっているから いちごのことがっこうでは うまくやっていくつもりです」。この言葉を見る限り、「イチゴの子」は、学校にいる現実の存在であるように思えた。違和感と言えば、○○さんが、誰かのことを否定的に語るということ。もちろん人間だからそういう思いを持つのは当然だが、もっと澄んだ心の世界を持つ○○さんにはちょっと似合わない。
 私たちが「イチゴの子っていったい何?」と不思議そうにしていると、「いちごのことは ×××(就学前に通っていた通園施設)で であったようせいです」と書いてきた。10年前に通っていた通園施設で出会った妖精?と、私たちの頭の中はいっそう疑問符でいっぱいになった。すると、「みえないのにわたしたちにあらわれて ゆうわくをします ×××のときは せまいこころになるようにとよびかけ がっこうではねがいをもたないようによびかけます」と続いた。
 狭い心になるように、願いを持たないようにと誘惑する妖精。一気に謎は解消した、が……。この言葉に隠された思いは、イチゴの子や妖精というメルヘンのような世界とは、ひと味違う。
 これは、閉ざされてきた世界で、自分の心はいじけてしまいそうだった、希望を失いそうだった、だけど、私はいつも広い心を持とう、いつも願いを持ち続けようとがんばってきたという、切実な思いを表現してきたものだと言えるだろう。そして、今でもそのイチゴの子の誘惑は続いているのだ、願いなんて持つなと。私たちは○○さんをイチゴの子の誘惑に屈服させることがあってはならない。
 


2008年7月12日 08時22分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 自主G多摩1 |
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