ニックネーム:柴田保之
性別:男
年齢:56歳
障害の重い子どもとの関わりあいと障害者青年学級のスタッフとしての活動を行っています。連絡先は yshibata@kokugakuin.ac.jp です。

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2011年03月23日(水)
大震災をめぐる思い 
 日本中が悲しみに包まれている中、視覚障害の重複した人たちと、何とかいつもの関わり合いを持つことができた。計画停電やガソリンの事情などで定例の会もいくつか開けなくなっているが、こんな時、うまくお会いできた方々の言葉は、おそらく同じ立場の多くの人たちの思いをどこかで代弁しているはずだ。
 最初は、まだ10代半ばの少年の言葉だ。長い文章のなかに次のような一節があった。

 災害のことがとても気になっています。みんなほんとうにかわいそうです。みんないつまで避難生活をしなければいけないのでしょうか。早くもとの生活にもどれるよう祈っています。なんとか早くわずかな希望でもみつけられたらと思います。

 この「希望」という言葉は、平穏無事に生きなおこの状況の中においても特別の困難を抱えずに生きている私たちがこの災害をきかっけに思い出した言葉としての「希望」ではない。彼が日々切実に抱き続けてきた「希望」を今被災地の方々に共感的に感じつつ語っている「希望」だと思う。
 二人目は20代の女性だ。彼女は冒頭からこのように始めた。もちろん、一人目の少年の文章をじっと耳をすませて聞いていて、それを引き取るように始めたものだろう。

 いい天気だけどゆいつ今悲しいのは地震です。 なぜ悲惨なことが起こるのでしょうか 。私たちも理不尽な障害に苦しんでいるけれどもっともっと理不尽なできごとでした。 私は悲しくて毎日泣いています。 ずっとどうしてこんな災害が起こるのかわからなくて悩んでいます。夢ならさめてもらいたいです。わずかな希望は私たちと同じでろうそくのあかりが何とか輝いていることです。勇気がほしいのも同じです。私たちを何とかして理解してほしいということです。私たちはまるで津波のあとに取り残されたようなものです。なかなか救いの手が伸びてきません。どうしてなのかわからないけれど私たちも救いの手を待っています。じっとしているだけしかできないけれど早く救われたいです。
 理不尽さに耐えるというところに共感の根拠があるということになるのだろう。この後、自分をもっと理解してもらいたいという思いへと文章は続いていった。
 3人目は、同じく20代前半の女性である。

 みんなもやはり地震のことを考えていたのですね。私も毎日考えていました。

 このように書いたあと、彼女のは理解されない自分の状況の話へと移っていき、力強く「分相応の人生は絶対にいやです。」と書いた後、次の文章へと移っていった。

 茫然としていました。どうして私たちだけでなくあんなにたくさんの人が亡くなったのか。小さい子どもまで亡くなったなんて人生をまだ全然楽しんでもいないのにどうしてなのかわからないけれど何か意味があるのではないかと思っていますがなかなかよくわかりません。

 こうした茫然と立ちすくむしかないような出来事を前に、懸命にその意味が何なのかを問おうとしている。この問いにはおそらく普通の意味での正解はないと思う。この悲しい出来事の後、その人が生きることによって作り出していったものが一つの答えとして、ずっと先になって意味としてもたらされるのではないかと私は思う。しかし、こうした問いはとても大切にちがいない。そして、彼女は、この問いは、初めて抱いた問いではない。まさに自分の障害に対して繰り返し抱いてきた問いだったのだと思う。


2011年3月23日 19時22分 | 記事へ |
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