ニックネーム:柴田保之
性別:男
年齢:56歳
障害の重い子どもとの関わりあいと障害者青年学級のスタッフとしての活動を行っています。連絡先は yshibata@kokugakuin.ac.jp です。

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2011年03月29日(火)
震災をめぐる3人の思い
 桜の開花も近いというのにまだまだ寒い一日、計画停電、交通網の混乱等々の中、災害をめぐる様々な思いを聞いた。
☆☆さんは、やはり、いきなり地震の話からだった。

 いちばんぐったりするのはたくさんの人が亡くなったことです。みんなそれぞれ若い人も年老いた人も来世を信じているならまだ救いもあるけれど人間なんてなんと人生を茫然と見つめるしかない存在なのかと思い知らされるできごとでした。理解を超えたできごとにただただ茫然としているだけですが、私たちはどうにもならないことには慣れてはいるので世間の人たちよりも人間の無力さはわかっているつもりです。私たちの私たちらしさは地震の前にはもろいものですが、私たちを何とかして理解してもらうためにはまだここでくじけてしまうわけにはいきませんが、私らしく生きていくためには私たちの私たちらしさをまたわずかな希望とともに語らなければなりません。地震は外向きには甚大な被害ですが内向きには新たなおごりのいましめでもあります。理想はずっとみんなが号泣することなく暮らしていけることですが、理解を超えた悲しみがあるというのがずっと続いてきた現実ですので何とかしてこの悲しみを乗り越えていくしかないと思います。小さなものかもしれませんが私たちのような存在はこの悲しみを乗り越えていくための何かヒントになるのではないかと思います。ランプのあかりが消えそうでもじっと忍耐していけば必ず光はさしてくるということです。何もできないけれどこういう考えもあるということを今日は伝えたかったです。なるべく多くの人に聞いてもら言いたいのでよろしくお願いします。小さい存在かもしれませんが私たちも小さいながら考えているということを知ってほしいです。ぽおんと何かをほおったときに乱れた空気が生まれても必ずまた静けさが訪れるということを信じていますぞっとするくらい恐ろしいことでも必ず終わりがあることを私はよく知っているので茫然とする日々にも必ず終わりがあることをじっと待ち続けたいと思います。涙はいつかかわくこともずっと経験してきたのでよくわかります。

 そして、一つの詩を聞かせてくれた。

  よい願い

犠牲になった私の友よ
理解されずに未来は閉ざされ
私はいつか私らしさをなくしかけた
だけどわずかな希望があるかぎり
私は私を輝かせるために
わずかなあかりをたよりにしながら
とおい未来に歩き出す
忘れたいのちを捨てないで呼んでみよう
きっと呼びかけに応えて
いのちは応えてくれるはず
人間ははかない存在だけど
必ず小さな未来をもって
人間の限界を越えていくはず
勇気さえあればどんな冒険でもできるだろう
自分の力のとどくところのその向こう側には
どうしても行けないかもしれないけれど
私たちはあきらめない
私たちを自由ないのちとか有限ないのちとか考えるのではなく
来世の冒険に逃げることなく
いま与えられた現実から一歩でも歩み出すための
静かな昔と同じようにゆっくりとでいいから
しっかりと道を切り拓きながら進んでいこう
若い時代は長くはないが無難な道を歩くのではなく道なき道を歩んでいこう
もうすこしで光はさしてくるはずだから
 

 ○○君も、かんたんなあいさつの後、地震の話をした。

 日本中がたいへんなことになってとても悲しいです。指をくわえて見ていることしかできなくてくやしいです。指をくわえて見ていてもなかなか私たちの力ではどうにもならなくてほんとうに悲しいです。ぼくたちは理解されないことでたいへんな悲しみを感じてきたので今度のことはとてもよくわかりますがあまりにも理解を超える悲しみでやっと地震が通り過ぎたと思ったら今度は大津波でどうして神様はそんな苦しみを人間に与えるのかわかりませんが何か意味があるのだろうと思います。地震のことの意味はよくわからないけど何か意味があるとしても悲しすぎると思います。人間にはまるで何もできないというみたいに見えますが人間にも知恵があるので人間として知恵を出すときだと思います。地球規模の異変が起こっているのではないかと心配ですが何万年もぼくは生られるわけではないのどほんとうのことはわかりませんが先生は何か知っていますか。

 もちろん、私に答えられることは、この地震と同じような規模の地震が起こったのは、1000年も前の平安時代であるということと、こうしたことが長い長い地球の歴史が繰り返されて、あの三陸のリアス式海岸の独特の地形も生まれてきたということぐらいだった。
 そして、自分のことに話は向かった。

 小さいときからぼくは何もわからないと言われてきたけどこうしてわかってもらえてほんとうによかったけど勇気を必要としています。なぜならどうしてもぞんぶんに生きるという気持ちになれなくなることがあるからです。でもこうして気持ちが言えると勇気が湧いてきますからまた会いたいですのでよろしくお願いします。

 ◇◇君は、冒頭に、明らかにこの大震災のことを言っているにちがいない一文を書いたあと、話がまた別の方向へと切り替わっていった。

 聞いてもらいたいことがあります。万人にいいおつかいの天使はいないのでしょうか。理想は理解者を増やすことですがなかなかうまくいきません。満足のいくような私たちのわかりかたはないのでしょうか。わずかなあかりしか世の中にはさしていません。部分的なものにとどまって私たちをそれなりに迷いから解き放ってくれますが本格的な理解はほど遠いものです。夢の中にいるみたいです。未来がまだまだぼくたちには遠いものになっています。みんなも悩んでいることでしょうね。人間はなぜ何においても理解を超えたことがあるということに気がつかないのでしょうか。ぼくたちのような用なしのような存在にも心があるということにもっと気づいてほしいです。人間として認められたいですがなかなかぼくたちのことには目が向かないようです。だからぼくたちも世の中に気持ちを訴えていきたいです。春しか待てないのは寂しいです。理解される日を待ち続けたいです。ぼくの言いたいことは以上です。

 ここで、お母さんが、理解してあげられていないのは家族のことなのかしらと尋ねると、

 家族では思いません。闘いの文章です。世の中です。世の中を感じるのはテレビなどです。ぼくたちなどいないかのように話が進むことです。地震がまさにそうです。ぼくたちの仲間のことなど出てきません。福祉ネットワークは特別ですがぼくたちのような障害の人は出てきません。

 ここで、話が地震のことへと一巡して戻ってきた。そこで、最初は地震のことから始まったのに、なぜ話が変わったのかを尋ねてみた。

 それは悲しさだけだから書く言葉が見つからないからです。神様のことは真剣に考えると信じられなくなります。なぜならあまりにも理不尽だからです。ぼくたちの障害もそうですが理不尽なことがあればあるほど神様なんていないという気持ちになってしまいますから何も言えませんがそれでも何かの違う意味でもあるのかとぼくなりに考えていますがそんなふうに思うことが被災した人に悪くて何も言えなくなりますから困っています。よくわからないけど神様よりもいつかわかると信じてきました、ぼくの障害の意味が。選んだわけではありません。何かの意味があると何度も信じようとして少しずつわかり始めたところでしたがよくわからなくなりそうです、この地震で。

 この大きな理解を超えた大きな災害の前に、自分の障害の意味がまたわからなくなりそうだという沈痛な思いが語られた。そして、彼が、この地震の意味を問うということ自体が、苦しみのさなかにある被災者に対して悪いと述べていることも決して見落としてはいけないところだ。
 そして最後に、桜の花の詩を聞かせてくれた。

いつか桜の木の下で
ぼくは疲れた体を横たえて 花びらにうもれてしまいたい
桜の花を待ちながら 今年もぼくはそう願う
桜といえばにおいのように 思い出が静かに浮かんでくる
桜の花と聞くたびに 心は春につつまれる
桜咲く日という言葉 だれかが口にするたびに 勇気がぼくに湧いてくる
ぼくにも心があるように きっと桜も心を持って
みんなのしあわせ願いつつ 静かに生を終えていく
ぼくにもどんなによい花が咲いてくれるか知らないけれど
ぼくもいつか桜のように幸せを祈りながら咲いて
人間として理想の花を咲かせたい
見渡す限りの春がすみ いつ桜は咲くのだろう
それを祈って春を待つ


2011年3月29日 16時00分 | 記事へ |
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