ニックネーム:柴田保之
性別:男
年齢:56歳
障害の重い子どもとの関わりあいと障害者青年学級のスタッフとしての活動を行っています。連絡先は yshibata@kokugakuin.ac.jp です。

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2011年04月03日(日)
大震災をめぐる4人の少年の思い
 大震災をめぐる4人の少年の思いを聞いた。

 ○○君は、この4月から社会人になった。何かを強く言いたいというように大きな声を出しながら部屋にはいってきた。

 人間は備えが必要だと言うことがよくわかりました。備えていないと何もできなくなってしまうのですね。夢のような一月でした。何が何だかわからなくなりそうです。夢ならさてほしいと何度も願っていますがわざと夢を長引かせているわけではなさそうなのでまさしくこれが現実なのだと思い知らされています。敏感な人はランプの明かりが消えそうになっているのではないでしょうか。わざわざむずかしく考えることもないとは思いますがわずかな希望は地震のあとろうそくのあかりをともそうとして日本中の人がわざわざよい心をたくさん被災地の人々に寄せようとしていることです。勇気づけられる人もたくさんいると思いますが勇気だけでは悲しみは乗り越えられないと思うのでつらいです。ぼくたちはわかってくれない悲しみを知っていますがみんなそれと必死に戦っています。わかってくれなくてもしかたないとあきらめている仲間もたくさんいるので未来を切り開くためにはあきらめないことが大切だということがわかっています。わざわざみんなに届けることはむずかしいですがなるべくあきらめないようにしてほしいです。よい未来が被災地にも訪れることを望んでいますが長い時間がかかりそうですね。わかってもらうのに長い時間がかかるのと同じです。
わずかな仲間しかいないけれど何とかしてぼくたちのことをどうにかして世の中に認めさせたいのでがんばりたいです。悩んでいても未来が開けてこないのは何でも同じですね。悩むよりも行動だということもこの災害から教わりましたが勇気はやっぱり必要ですね。わずかな勇気でもあればあきらめと戦えますから運命という考えはなるべく使いたくないけれど今回はそれを強く感じます。
小さい時から何か出来事が起こるたびにいろいろ考えてきましたが夢のようです。それを言うことができて。何でもぼくたちは理解しているのにそれが伝えられなくて残念です。人間として言いたいことがたくさんあるのに言えないのは苦しいので早くこういうやり方を世の中に伝えてほしいです。ろうそくのあかりがともる日を夢みつつぼくも社会人としてがんばりたいと思います。わずかなものかもしれないけれどぼくもせいいっぱいがんばっていくので手助けしてください。よろしくお願いします。


 ◇◇君は、お母さんが陸前高田の出身で、足に津波が押し寄せる中何とか助かったおばあちゃんが、2週間の地元での避難生活の後、今は◇◇君の家に身を寄せていらっしゃる。◇◇君は陸前高田で生まれ、長期休暇には必ず訪れていたという。
 ◇◇君のコミュニケーションの手段はお母さんの援助による筆談で、家で2編の詩を書いてきた。それは、被災地に身を置いて書かれた詩だった 詩の紹介は別の機会に譲るが、筆談で話し言葉のように様々なことを語った。

 津波の映像を見て大変なことが起こったと思いましたが、それは予測していました。こんなことが起きるだろうなって。だけど、こんなに人がたくさん亡くなったり、原発の事故というものが起きるってことは得体の知れない災害です。総増益ません。だから物がないってパニックになるのもしかたないでしょう。でも人は本来、助け合いいたわり合って生活する動物です。科学が発達して人間だけ別の生き物と思っていた人間は思いやりいたわりが大事だと気付かないといけない。気付いて新しい世界を作らないといけない。それができればこの災害をステップにできると思います。ママもそう思う?ぼくは動けないけどわかります。
 人は何のために生まれてきたのか、考えながら生きていかないといけません。大事なことを考えずお金もうけや出世ばかり考えていたら、意味のない人生を送ります。あくせくと金儲けばかりしていると、死ぬときお金のこと気になって、いい臨終できません。ぼくは亡くなった人、なくなった建物や道具に敬意を払っています。それをしてくれる人が増えていけば、なくなった人、物、道具も意味のあるなくなり方となりますから。一人でもそう思う人が増えてほしいです。そんな詩を書きました。被災した人はこれからが大変です。ばあちゃんも軽いパニックですし、これが収まると孤独とのたたかいになるよ私のことわかってくれる人いないって悲しみがわき出てくるでしょう。ママはそれもわかってて、でもがんばって自分のことは自分でしてよって言ってますから。
 ママとぼくもいつか行こうよ。ママ行けなくて申し訳なかったね。


 ◇◇君と同級生の▽▽君は、いくつかの身振りのサインを持っているが、この日両手を胸にあてて、つらいということを全身でアピールしながら現れた。

 聞いてほしいことがあります。なぜこんなに悲しい災害が起こるのでしょうか。みんなわかっているのかもしれないけれどぼくにはよくわかりません。だけどぼくたちはいつも自分の体のことで苦労しているのでとてもつらい人の気持ちはわかります。小さい時から苦労してきたのでぼくにはつらい人の苦しみがよくわかります。理解されない苦しみと大切な人を亡くした悲しみは違うとは思うけれどわかってもらえない苦しみとよく似ているのは人間として一番大事なことに関わっているからです。でも簡単にそういうことを言ってもみんなはどうせわからないと言うかもしれないけれど涙を流しています。つらいのはみんな同じかもしれないけれどぼくたちの悲しみはなかなか理解されないのでよくわかります。人はなぜつらいことにもがんばっていかなければいけないか犠牲になった仲間の分までなぜきちんと

 ここでちょっと中断して、◇◇君のお母さんが陸前高田の出身だということや、それをめぐる様々な話をした。すると、それを承けて▽▽君はさらにこう続けた。

 小さいことなのですが小さいときにみんなと遊んだところがなくなるのはつらいですね 。そんなことにも今度の地震は関係しているのですね。びっくりしました。◇◇くんのおかあさんが東北の出身だったということに。小さいころの思い出も茫然としたままなくさなければならなかったということが。そういうことも含めて今回の災害はとても悲しいことでした。

 ◎◎君も、◇◇君も同級生で、高等部3年になる。一つの詩を間にはさみながら、震災について語った。

 なかなか話せないので私たちの言葉を聞いてもらいたいです。なぜこんなに悲しいことが起こるのかわからないけれど地震はとても大変でした。私たちには私たちの悲しみがあってそれをみんなの悲しみに重ね合わせればよくその意味がわかります。わずかな希望でもあればまた未来は開けてきますが涙はすぐにはかわきませんでした。そのことはきっと同じだとおもいます。涙はかわこうとしてかわくものではないので時間がかかります。涙は時間がかかるけれど希望はすぐにものにすることができます。人間はそういう風にできているのだと思いますがなぜ様子がわからないうちに悲しさだけは湧いてきたのでしょうか。それはどうしてかはわからないけれど人間は悲しみにはとても敏感なのだと思います。敏感なのは希望に対してもです。すぐに希望がとんでもない苦しみの中にあっても茫然とした人間を我に返らせまたつらいことを乗り越えて茫然としたところから立ち上がる勇気を与えてくれます。そしてそこからまた歩き出そうとするものです。人間はそんな風に希望と悲しみの間で生きているということをぼくたちはいやというほど味わってきました。人間はまるで風の前の塵のようなものですがぼくにとってはかけがえのない存在なのでわずかの希望でもあれば生きていけるということを信じています。人間として力強く生きていきたいです。

苦しみの中でを聞いてください

苦しみの中に見つけた希望
それは瑠璃色に輝いて
ぬいぐるみの私に希望を与え
小さな未来を平和に変える
小さな未来は小さいけれど
中でも僕の小さな夢は
小さいままに未来を照らす
無難な生き方捨て去って
存分に未来を夢見よう
未来は大きく膨らんで
未来を世界に伝えよう
敏感な望みは別によいけれど
小さい星の大きな希望
よい願いの開くとき
すてきな未来が開けてくる。

ぐっとずきんと苦しかったです。みんなも同じだったと思います。友哉くんの言葉が気にいりました。◇◇くんのはどんな詩ですか とても共感しました。まさかみんなが自分と同じようなことを考えているとは思わなかったので驚きました。みんなの考えにはとてもわかってもらえない悲しみがあってそれが災害にあった人々たちと重なり合っているのですね。驚きました。茫然としていたのはぼくだけではなかったのですね。だれもが理解されたいと思っているのですね。早く理解されたいです。



2011年4月3日 11時04分 | 記事へ |
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