ニックネーム:柴田保之
性別:男
年齢:56歳
障害の重い子どもとの関わりあいと障害者青年学級のスタッフとしての活動を行っています。連絡先は yshibata@kokugakuin.ac.jp です。

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2011年04月10日(日)
大震災をめぐる3人の思い 桜の満開の日
 あの大地震と大津波からもうすぐ一月となる。例年より遅れ気味の桜も満開を迎えたが、今年の桜は特別な色合いを帯びた桜のように見える。
 3人のメンバーの会で、それぞれが、大震災への思いを語った。
 最初は、社会人3年目の男性○○さんである。

 日本が地震で大変なことになってしまった。大きな地震と津波でたくさんの人が亡くなったのでとても悲しいです。なぜあんなにたくさんの人が亡くなったのかわからなくて毎日悩んでいます。人間だからみんな自分だけでなく他の人のことも考えていると思うのでみんな混乱しています。ぼくも唯一の希望がなくなりそうな気がしています。人間に生きる意味がないと僕たちはどうしたらいいかわからなくなるからです。勇気を出そうにもなかなか感情がこみ上げてきません。小さな子どもまで亡くなって人間としてどう自分はとらえたらいいのかわからなくなりますがみんなもきっと同じ感じなのでしょうね。みんなもきっと悩んでいるの(でしょうね)。

 ここで、気持ちが高ぶって立ち上がって彼に、気持ちを尋ねるとみんなの気持ちが聞きたいということだった。みんなとは私たちのことだ。問い返されてもきちんとした答えを持ち得ているわけではない私は、つまりながらも、自分の考えを述べた。私の考えは、決して胸をはって言えるものではないが、ただただこの残酷な事実が現実であり、こうした出来事を何度も繰り返しながら人々はまた立ち上がって生きてきたという考えである。おそらくどのように語ってもどれが正解というものはないのではないかと私は思っている。ここで、○○さんに、同じ状況にある仲間の震災に関する文章をいくつか紹介した。涙を懸命にこらえるような表情で○○君はそれらを聞いていたが、その後、次のように書いた。

 疑問は解けないけれどわかり合える仲間がこんなにもいてよかったです。人間の生きる意味はわかりにくいけれど僕も考え続けます。人間の生きる意味もわからないけどびっくりしたのは(みんないろいろかんがえていることです)。
 ぜひぼくたちの考えを伝えてください。名前もないような存在だけどみんな挽回する時期だと考えたらいいということがわかりました。よかったです言いたいことが言えて。夢のようですぼくの気持ちがすらすら言えて。みんなにもぜひ伝えてください。がんばりたいと思います。別に理解されなくても勇気さえあれば大丈夫です。だから自分は大丈夫ですがわずかな希望がみんなにも感じられることが願いです。よい子が元気に生きられることが願いです。ありがとうございました。


 次は社会人2年目の男性◇◇さんである。最近の特に落ち着かない様子だということをご両親がおっしゃっていたが、彼もまた、いきなり、震災の話から始まった。

 僕は今度の地震と津波で若い人も年老いた人も子どもも亡くなったのがとてもつらいです。
苦しかったのはみんなのことが理解できないからです。
僕たちはいつも理不尽な苦しみをかかえているけれど、みんなも同じ理不尽な苦しみをかかえてしまうのがとてもつらいです。僕の言いたいことはいつもみんなのことです。昔からぼくはよくわからないけれど少しだけ苦労の意味をわかっていたので、ぼくはみんなのことが少しわかります。でもできるだけみんなのことをわかりたかったので、今度のことでわからなくなってしまいました。なぜ、あんなにたくさんの人が死ななければならなかったのでしょうか。ぼくにはわかりません。何か意味があるのならそれが知りたいです。むずかいしでしょう。苦しいでしょうがぼくもまた考えてみます。みんなことを言えてよかったです。みんなとは、亡くなった人や被害を受けた人です。
僕はずっと気になっていたので、それを言えてよかったです。わかってくれる人がいないので言えてよかったです。わかってくれてうれしいです。
死ぬか生きるかという気持ちになりそうでしたが、安心しました。苦しかったけれどよかったです。
 堅かった◇◇さんの表情は、少しずつ和らいでいった。言えないままにたまった思いは、今回は、まさに彼を押しつぶしてしまいそうだったのだということがよくわかった。
 3人目は、小学生の男子▽▽君である。

 言いたいことがあります 僕はなぜ地震で優しい人や朗らかな人が亡くならなければならないのかがわかりません。小さいことだけど勇気がなくなりそうでした。わかってもらいたいのは未曾有という被害でも人は生きていかなくてはいけないということです。ずっとそのことを考えています。理想はわずかな希望を持ちさえすれば人間は生きていけるということです。なぜなのかはわからないけれどもう少しで生きる意味がわからなくなるところでした。なぜかはわからないけれど理想をなくしてしまいそうでした。未来をなくしてしまいそうでしたが未来を信じて頑張ろうと思います。楽な生き方をしようとは思わないけれどぼくたちのような障害者はわかってもらえない苦しみからのがれられないので勇気が必要なのですがそれが被災した人たちの置かれた状況と相通じるところだと思います。泣かないでというのは無理だけど僕には理想があるので未来に向かって力強く生きていきたいと思います。小さい頃からの疑問でしたがなぜ僕たちが生きているのかがようやくわかりました。ぼくたちはみんなのことを理解するために生きているということだったということなのですね。よくわかりました。なぜぼくたちが生きているのか。理想の中にまた一つ理想が増えました。わずかな未来でもずっと目ざし続ければ必ず未来が開けるということがわかりました。

 銀色の未来という詩を聞いてください。

銀色の未来の小さなわずかな昔の光だったけれど
今銀色の未来の光は大きな光となってぼくを照らす
勇気さえあれば理想は遠くの勇気を集めて
じっと勇気は強くなる
強くなった勇気は未来をさらに明るく照らすだろう
自分の小さな未来だけではなく
人々の未来をも照らすだろう
勇気を持って生きることこそ未来を切り開く鍵だ
泣き明かした夜も 泣きはらしたまぶたも 
ともによい心の表れとして未来への糧としよう
涙はそんなに長くは水分としては残らない
ゆくあてのない煙と鳴って空に消えていくだろう
みんなを望みのデモンストレーションで飾ろう
なすすべもなく未来を恨むよりもなすべきことを見つめていこう
理想はわずかな勇気さえあれば再び力を取り戻すだろう
よい未来のために強い勇気で頑張ろう
未来は銀色に輝いているはずだから


 もちろんこの詩の背景には、この大震災があることはまちがいない。


2011年4月10日 08時51分 | 記事へ |
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