ニックネーム:柴田保之
性別:男
年齢:56歳
障害の重い子どもとの関わりあいと障害者青年学級のスタッフとしての活動を行っています。連絡先は yshibata@kokugakuin.ac.jp です。

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2011年04月15日(金)
大震災をめぐって 重複障害教育研究所において
 明日で大地震と大津波から一月になるという日、重複障害教育研究所に通ってきた3人の方と、東日本大震災について話をした。
 最初は、20代後半の女性○○さん。彼女のお父さんは福島県の事故を起こした原子力発電所のすぐそばの町の出身で、生家は津波の被害はまぬがれたものの、駅を含めた町並みがそっくり津波でなくなったとのこと。お父さんの弟さんは何とか無事だったというが、全町あげての避難指示区域にはっているため、現在は避難所暮らしをしているらしい。

 ところで地震の話を聞いてください。みんな悪いことなど何もしていないのになぜ亡くならなくてはいけなかったのでしょうか。小さいときからお父さんに連れられていった町がなくなったことがとても悲しいですが何とか亡くならずにおじさんが元気な声を聞かせてくれたのがせめてもの救いでした。なかなか避難先から戻れない便利さの失われた生活をしているので大変ですが満足のいく生活を過ごせるようになることが願いです。ごやっかいになっていることにとても悪いと思っているようなのでとても心配です。早く家に帰ることができたらと思いますが原発はなかなか放射能がなくならないみたいなので迷惑だと思いますがとても澱んだ空気を体に浴びると大変なので日本中が心配していますが。誰を責めるわけにも行かないので仕方ありません。銀色のドームが爆発するのが怖いですがなるべくそういうことが起こらないことが願いです。日本中の人がどうなるかを見守っていますから都合よく解決してほしいです。
 亡くなった人の中にまだ小さい子どももいたのがつらかったです。なぜ小さい子どもまで犠牲にならなくてはならないのかとても理解できませんがどうにかしてそういう子どもの魂がわずかであっても救われたらと思います。人間はちっぽけな存在だということを思い知らされた出来事でしたがつくづく世の中ははかないとおもいました。わずかな希望は私たちのような障害のある人間だけは苦しみの意味を知っているのでその経験が何かの支えになればと思います。何とかして私たちの思いを伝えたいですがむずかしいでしょうか。
 理想は私たちの声を被災地に届けることですが寝ずに考えてもいい方法は浮かびませんでした。小さい声ですが私たちの声も届けられたらと思いますが何とかなりませんか。日本のろうそくになれたらなどと大きなことも考えました。わずかなあかりでも何かの役に立てたらと思いました。私の言いたかったことは以上です。


 この後、○○さんより3歳くらい年下の女性、◇◇さんに交代するが、その合間に二人の会話を援助した。手を振る方法による援助だったため、記録もないが、地震の話も含めて、いろいろな話に花が咲いた。そして、◇◇さんの番になる。

 地震について話します。ランプの明かりが消えそうな思い出生きていました。なぜこんなに悲しいことが起こるのか本当に不思議でしたが魔法のようにすべてがなかったらいいなと何度も思いました。 唯一の救いは私たちにも希望があるように被災地の人たちにも希望があるということです。みんな何もかもなくしてもまだ希望があるということが救いです。未来を切り開きたいので私たちはもっと大きな声で本当のことが言いたいです。私たちのような存在でも未来があるようにどんな状況にあっても人は希望を失わないということです。びっくりしました○○○いさんも同じように地震のことを考えていたということに。みんな同じ気持ちなのですね。疑問は解決しないけれどよい会話ができて気持ちを整理することができました。
 

 3人目は、20代前半の男性▽▽さんである。彼は、現在施設に入所しているが、地震以降、気持ちの高ぶりのために出てしまった大きな声でのどがかれてしまったらしい。
 
 ぼくは地震が起こってからずっと地震と津波のことばかり考えていました。でも、あんなにたくさんの人々が亡くならなくてはいけなかったのかがよくわかりませんが、何か大きな意味あると思うのですが、そういうことを言うと被災地の人に悪いのでもう少しそういう言い方は避けようと思いますが、なかなかそういう気持ちがなくならないので、いつも悩んでいます。何か大きな意味があるなら、乗り越えられると思うのですが何も意味がないならどうしようもなく空しいだけだと思うのです。でも何か大きな意味があるのなら、それがわかれば乗り越えられると思うのですが、なかなかその意味がわからなくて困っています。でもこうして話せて少し落ち着きました。
◇◇さんも同じように地震と津波の話をしたのですか。どういう話ですか。(◇◇さんの文章を伝える。)
 ぼくもそういうことも考えました。ぼくの言いたいことは、ぼくたちはずっと苦しんできたのでよく被災地の人たちの苦しみがわかりますが、そんなにわかるわけでもないので、それは言いませんでしたが、同じように考えていました。でもそれはまだ言葉に出せないよう思っています。まだ、みんな悲しみの中にいるのでそういうことは言えません。でもみんな同じように地震や津波のことを考えていたとは思いませんでした。まさか同じように考えている人がいるとは思いませんでした。ぼくたちは理不尽な障害を持って生まれてきたのでその理不尽なところが共通です。


 今、こういうことを言うのは被災地の方には悪いという彼の気持ちにしたがえば削除すべき部分もあるかもしれないが、きちんと書かれた思いなので、決して誤解を生むこともないと思ったので、そのまま掲載した。


2011年4月15日 23時10分 | 記事へ |
| 研究所 / 東日本大震災 |