ニックネーム:柴田保之
性別:男
年齢:56歳
障害の重い子どもとの関わりあいと障害者青年学級のスタッフとしての活動を行っています。連絡先は yshibata@kokugakuin.ac.jp です。

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2011年04月24日(日)
震災についてのある中学生の思い
 まだ、関わり初めて間もない少年の言葉を聞いた。今回2度目だが、1度目はまだ、震災の前だった。
 そして、2度目の文章は、震災の話題が中心となった。

 ぼくはとても悲しんでいることがあります。日本中が悲しんでいることですがなぜたくさんの人が亡くならなければならなかったのでしょうか。ばらばらになった家族や逃げるときに人を助けようとした人が亡くなったりしてあまりにも理不尽な仕打ちだと思いますがどう考えても答えは出てきません。なかなかみんなと笑顔で話し合う気持ちになれなくて困っています。なかなか希望が湧いてきませんでしたがなぜかと考えている内に一つ発見したことがありました。それは小さいことですが小さくても大事なことだと思っていますが伝統的な日本人はそう考えてきたみたいです。美の追究と似ているのかもしれませんが小さいけれど人間には存分に生きさえすればどうなるかは天に任せるという考えです。
 小さいことだけど今のところそれしか理解する方法が考えられません。小さいけれど大事にしたい考えです。なぜだろうと考えているうちにまた泣き出しそうになりました。小さいことだけど何かの勉強には鳴ると思います。小さいけれど何度も考えた結果の答えですのでよい考えかどうかはわかりませんが書いてみました。先生はどう思いますか。


 ここで、彼の言う伝統的とは何のことなのかを尋ねてみた。

 伝統的だと思った理由は何かのことわざで聞いたからです。

 そこで、「人事を尽くして天命を待て」ということわざのことだねと答えてみた。すると答えに続いて、文章が続けられた。

 そうです。それです。未来をあれこれ思い煩うなと言うことだとずっと思ってきながら考えた言葉です。ぼくたちは理不尽な障害と闘ってきたのでいつもそういうことを考えてきましたからよくわかります。
 小さいときから考えてきましたから。名前は忘れましたが人間はなんとちっぽけな存在かという言葉を読んだことがありました。わずかなわずかな希望だけどそういうものがあれば人は生きていけると言うこともぼくたちは知っています。長い障害との闘いの中で見いだしたことです。人間の生きる意味をいつも考えているので今度の出来事には本当に考えさせられました。かあさんもそういうふうに言っていましたね。母さんもずっと悲しんでいますから。夕べも一人で泣いていましたね。ぼくはまだ寝ていませんでしたからよくわかりました。小さいときから母さんは小さいことにも感動してきたので今度の災害はつらかったですよね。


  

2011年4月24日 22時32分 | 記事へ |
| 家庭訪問 / 東日本大震災 |