ニックネーム:柴田保之
性別:男
年齢:56歳
障害の重い子どもとの関わりあいと障害者青年学級のスタッフとしての活動を行っています。連絡先は yshibata@kokugakuin.ac.jp です。

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2011年05月02日(月)
再び自然をこの手に従えてたくましく立ち上がろう
 5人の言葉の後半の3人の言葉を紹介したい。
 一人目は、30近い男性の言葉。

 いい時節になったのにぼくはとても悲しいです。理想的な世界がようやく近づいてきそうだったのに大変な地震でもうどうしたらいいのかわからなくなりました。私たちはどうすればいいのでしょうか。世界がひっくり返るとはこのことです。唯一の希望は私たちのような余分な存在でも何とか希望があれば生きていけるように私たちは人間だからずっとわずかばかりの希望さえあれば生きていけるのです。人間としてそういう光を信じて生きていくことが唯一の救いだと思いますから光を大切にしたいです。わずかな光と光さえ失わなければきっと雪のような白くて清らかな未来が開けてくるでしょう。深い闇が日本中を覆っているけれど深い闇もよい光で満たされる日が来るでしょう。名前さえない残された私たちは私たちにしかわからない苦しみを背負ってきたので私たちらしくこの苦しみの意味を伝えられたらと思います。
 でもいつまで待てば僕たちの力が発揮できるのでしょうか。分相応の生き方はまだまだ未来を切り開いてくれないけれどもうごめんです、人間扱いされないのは。未来を切り開きたいです、早く。でも今はまず地震で途方に暮れている人が先かもしれません。でも未来はいつかもっと私たちにとってよいものになってほしいです。わずかな希望がありさえすれば僕たちは大丈夫です。ぶつかりあっている政治家はよい政治をできるよう頑張ってほしいです。
 
地震とは何度となく人を不意打ちにしてきたけれど 
人はいつも立ち上がってきた
ぶるぶるふるえながら 
人間の弱さをかみしめながら
理解できない苦しみも何度も乗り越えて 
人は生き続けてきた
分相応で生きていれば自然に復讐されることもなかっただろう
しかし自然に任せていただけでは人は幸せをつかめないだろう
なぜならこのぼくの障害も自然が与えたもの
自然にただ任せていたならば僕は生きることさえかなわなかった
自然と闘い続けながら 
時には自然に復讐されながら
ぼくはたくましく生きようと思う
だから地震で傷ついた人たちも 
また望みを手に 
再び自然をこの手に従えて 
たくましく立ち上がろう
小さなぼくさえ自然と闘い続けてきたのだから 小さな人だって必ず闘い続けていけるだろう
懐かしい町並みをもう一度取り返して 勝ちどきを上げて
また夜の闇に明かりを灯し 賑やかな笑いを取り戻そう。


 みずからの障害と重ね合わせることによって、どんなに自然から復讐されようとも自然と闘い続けていかなければならないという彼の独特の認識が鮮烈だった。
 次は20代後半の女性の言葉だ。

 聞いてほしいことがあります。地震があってとてもたくさんの人が亡くなって私はつらいです。勇気をなくしてしまいそうでした。みんなどうして煩悩のない若い子どもまで亡くならなければならなかったのでしょうか。私はなぜだろうと考えて人間の生きる意味がわからなくなりそうでした。びっくりしたのはそれでもみんなが希望を失わなかったことです。なぜそんなに人間は強いのだろうとよくよく考えているうちに私の障害と同じだということに気づきました。不思議でしたが私たちも障害があるのに生きていけるのだから被災地の人も生きていけるのだなと思いました。文明の反映と滅亡というと少し大げさですがそんなことも考えました。未来はもっといい世の中が来ると漠然と考えていましたが悩みながら過ごしています。未来はきちんと作っていかないと来ないのだという気持ちがしてきました。未来を作るために私たちは立ち上がる必要があります。小さいのは何でもないけれど大きいのはさすがに困ります。

  森の精
ランプの灯りが消えてしまうかも
すべのない悶々とした夢のような理想の国を探し求めて
私は野原をさまよいながら
雪帽子をかぶった森の精に願いをかけよう
雪帽子をかぶった森の精は目をつぶったまま 
ずっと黙したまま理想を何とかかなえようと
夜の闇を乗り越えて 
日差しが氷を溶かしてくれるのを待っている
自分だけの幸せではなくて 
すべての世界の人の幸せを願っていきたいと思いつつ
無難な森のぼんぼりを取り除いて 
ほんとうの森を探しに行こう
よい知らせが私に届き 
私は森の精にろうそくの灯りをもらって 
暗い森の中を歩き出す
わずかな希望だけを胸に携えて


 後半の詩は、地震に触発されて書いた詩である。絶望の夜を何とか越えていきたいという気持が痛いほど伝わってくる詩だった。
 最後は、20代後半の女性の言葉である。障害のある仲間たちがどう生きているのかを気づかった言葉である。

 みんな地震のこと書いているので書いていいですか。言いようのない自然の恐ろしさが生きる希望の気配を流し素朴な尽くせぬ日常すべてを対岸に流してしまいました。してはいけないことが増えて日本中が静まってしまっています。危機に遭遇したとき友たちはどんな思いでいたのか知りたいです。罪深い世間の中で障害者の仲間たちはくじけそうになっていないか心配です。みな考えていますね。生きていくすべが流された今立ち上がることの大切さを改めて感じています。違いはあっても違いを生かした立ち上がり方を探していきましょう。仲間にも伝えてください。一人一人が抱えた立場で支えていきたいと思います。 

2011年5月2日 15時08分 | 記事へ |
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