Tさんが施設入所して10年ほどなるだろうか。ずっと障がい者青年学級の一員だったTさんは、言葉をすべて理解していることをまったく誰も気づくことはなかったけれど、仲間の間を体を左右に揺らしながらゆっくりとふわふわ漂うように歩きながら、存在感を示していた。そのTさんのもとを、とびたつ会の松田さんがスイッチとパソコンをかかえて訪問するようになり、徐々に言葉が紡ぎ出されてきた。
そのTさんが、わかそよの練習に参加した。私は、みんなが歌っているのを聞きながら、お母さんが見守る中、Tさんの言葉を聞き取っていった。
こんにちわ。久しぶりですね。残念ながら私は××(福祉施設)に入ってしまい青年学級は行けなくなりましたがなんと松田さんが来てくれてまるで魔法のように私の気持ちを聞いてくれてろうそくの灯がともりました。夢みたいです。
母さん私をいつも大事にしてくれてありがとうございます。なるべく私を家に連れて帰ってください。できる範囲でいいです。なるべく家に帰りたいと言ったのはみんなの顔が見たいからです。帰るとみんなに会えそうな気がしてわくわくします。
何かTさんに尋ねたいことはないかとお母さんにうかがったところ、「お父さんのお葬式のあと、7キロもやせてしまったのはなぜだったの?」とお尋ねになった。数年前、Tさんのお父さんが亡くなられた時、施設で食事がとれなくなって、やせてしまったということがあったらしい。その答えはあまりにも当然すぎるものだった。
とても悲しかったから食べられなくなりました。私はお父さんが大好きでしたから。
そして、かつての仲間の歌声を聞きながらこう綴った。
わかそよに出ていた頃が懐かしいです。また出たいです。
ここで、私は、もし詩を作っていたら聞かせてほしいとお願いした。すると「にんじん」という題の詩があるという。にんじんが詩のテーマになったことは今までなかった。しかし、地中に伸びるにんじんのイメージが浮かんだ時、おぼろげながらその言わんとするところが伝わり、どきっとさせられた。次のような深い深い詩だった。
にんじん
空高く
理想をいつかかなえようとしながら
ずっと地中に根を伸ばしているにんじん
どこまでのびても地中を出ることはないけれど
にんじんは知っている
ほんとうのドラマを
空には届かないけれど
にんじんは知っている
ほんとうの苦しみを
にんじんに夢を託し
私は生きている
にんじんのように
地中深く根を生やしながら
誰も知らない地中の深くで根をはやしているにんじんの姿はTさんそのものだった。
まだ、私たちは、Tさんの本当の姿を施設の職員の方々などに伝えるすべを持っていない。あまりにも唐突なことになってしまうからだ。にんじんは、もちろん地上に茎を伸ばし、細かい葉をつけ、花も咲かせる。少しでも早く、Tさんのにんじんに花を咲かせたい。
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