ニックネーム:柴田保之
性別:男
年齢:56歳
障害の重い子どもとの関わりあいと障害者青年学級のスタッフとしての活動を行っています。連絡先は yshibata@kokugakuin.ac.jp です。

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2011年07月10日(日)
東日本大震災に思う 4月30日
 震災の後、このグループとの関わり合いは2度目となる。みんなこのひと月の間、胸を痛め続けていた。 
 最初は高校生の○○さんの言葉。

 聞いてほしいことがあります。地震の後どうしてこんなに悲しいことが起こるのかと思ってきたけれどばらばらになった家族がまた一つになったり茫然としていた人がまた元気になったり私たちのように絶望から立ち上がるのを見てまた希望が湧いてきました。わずかの希望さえあれば人は生きてゆけるということが証明されました。わずかの希望であっても私たちが生きてゆけたように元気になった人の笑顔がとても救いです。わずかの希望があれば人は生きてゆけるので悩みや苦しみがあっても人は生きられるのですね。みんなの気持ちを聞いてみたいです。みんなの文章が見たいです。
小さな僕たちの意見ですがわかってもらいたいと思ってい益す。私たちの私たちらしさを伝えたいです。地震のいいところが生まれたような気がします。みんなはまた立ち上がれるということがわかりました。聞いてよかったです。理想をまた取り戻せそうです。日本の残酷な災害がまた平和への少しずつの望みとして私たちにも歴史は刻まれていくのですね。瑠璃色の光が射してきました。地震を乗り越えるためにがんばれそうです。理想を再び取り戻して生きていけそうです。理想はなかなかかなわないけれどいつかかなうと期待しながら生きていきたいと思います。悩みはなくなることはないけれど悩みを乗り越えてゆかなくては未来は開けないということがよくわかりました。分相応の人生をもう乗り越えて生きてゆかなくてはいけないと思いますからよろしくお願いします。なぜ人はつらいことがあっても美しい心をなくさないのか不思議だったけれどどうしてなのかがわかりました。それは地震でそうだったように私たちを認めてもらいたいという気持ちと似ていて希望があるからです。わずかの希望さえあればなんとか生きていけるということがわかったのでよかったです。


 次は、同じく高校生の◇◇さんの言葉。 理想は楽な生き方をすることですが私たちはなかなかわかってもらえないので私たちはつらい生き方をするしかないのですが津波でなくなった人のことを考えるとつらい人生を生きなくてもよかった人までがつらい人生を強いられて僕はかわいそうでなりません。なぜそんな残酷なことが起こるのかと考えていますがその答えは見つかりません。なぜなのかと考えているうちに一つわかったことがあります。それは僕たちの苦しみにも意味があるように被災者の苦しみにも意味があるということです。私たちの苦しみの意味はなかなか伝えられないけれど私たちはもっと世の中に私たちの生きている意味を伝えなければなりません。なかなかわかってもらえないけれど理想はもっと私たちの言葉を届けて世の中の人にもっと私たちの悶々とした思いを伝えていくことです。私たちの悶々とした思いは理想をなかなかかなえられないことですが私たちをもっと輝かせなければいけません。そんなことを考えているとまたわからなくなったのは人々がなぜ私たちのことをなかなか理解してくれないのかということです。なかなかわかってもらえなくて私たちはもうどうにでも慣れという思いにとらえられそうになります。だけど私たちはまだ諦めるわけにはいきません。私たちの言葉を世の中に届けるためにはどうすればいいのかわかりませんが理想はこうやって気持ちを伝えられると言うことを世の中が認めることです。どうしてなかなか理解されないのかわかりませんがもう少しの辛抱ですね。

 △△さんのも高校生だが、だが、彼は今回、被災地をテーマにした詩を作ってきた。



 地震の話からします。なかなか涙は乾きませんがようやくわずかな希望が出てきました。なかなか理解されないけれど涙を流すことよりも立ち上がる人々の勇気の方が目立つようになりました。部分的なことなのですが文明の危機だと思われるのはどうにもならない原子力です。わかったようなことばかり言う学者ばかりの割にはどうにもならないのが問題です。私たちは別に原子力がなくても生きていけると思うので早く他のエネルギーに転換すべきだと思います。私たちはもうすぐ爆発的に人口が増えたり何度も困難なことに出会うと思うので早く新しいエネルギーを何とかして見つけないと行けません。それが今日いちばん気になっていたことです。勇気づけられたことは理想をなくさずに人々が立ち上がっていることです。なぜなのかはわからないけれど人は立ち上がる強さを持っているのですね。人間はとても小さいけれど強いと言うことがよくわかりました。文明もそうやってどうにか続いてきたのですね。早く元の生活に戻れる日が来ることを待ち望んでいます。小さな希望という詩を作りました。

小さな希望の小さな勇気
わずかなわずかなぼくの目指す理想の光
どうしてなのかわからないが
わずかな夢はここまでみんなを引っ張ってきた
浜から吹く風は
夕焼けを浴びて美しい空を染める
みんなは家路を急ぐけれど
夕日はなかなか沈まない
私たちは夕日の輝きのように力強く
また立ち上がろう
たとえ失われた命は返らなくても
涙は乾かなくても
夕日はそんな悲しみをすべて包み込んで沈んでゆく
水平線の向こうには誰も知らない未来が待っている
その空の向こうには夜の暗闇が待っているが
涙はろうそくの明かりを何度も何度も映し出し
明るい光を照らし出す
そんな未来がある限り
人間はまた立ち上がる
意地悪な自然と向かい合いながら
よくわからない明日に向かって


 最後は、この4月から社会人になった☆☆さんの言葉だ。

 こんにちは。とても悲しい出来事が続いていて私はとても悩んでいます。忘れたくても忘れられません。小さい子どもや仲間たちが亡くなってつらかったです。小さい子どもたちを助けようとしても助けられなかった母さんたちの悲しさが伝わってきました。強く結ばれた絆が一瞬で断ち切られて悲しかったです。なぜなんだろうと私なりに考えてみましたがとても難しくてわかりませんが唯一の希望はみんながまた希望を胸にして立ち上がったことです。私はなかなか気持ちが言えなくて苦労してきたので苦しみについてたくさん考えてきましたがよくわからなくなってしまいましたがまるで私たちも津波の被害者のようなものなので私たちも希望を大切に生きていこうと気づきました。まだまだ悲しみは癒えませんが早くまた元の平和な世の中に戻ってほしいです。なかなか言う機会がなかったので言えてほっとしました。

2011年7月10日 13時46分 | 記事へ |
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