ニックネーム:柴田保之
性別:男
年齢:56歳
障害の重い子どもとの関わりあいと障害者青年学級のスタッフとしての活動を行っています。連絡先は yshibata@kokugakuin.ac.jp です。

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2011年07月11日(月)
東日本大震災に思う 5月15日
 重複障害教育研究所でお二人の方の気持ちをパソコンで聞いた。4月10日(ブログ掲載の日付は4月15日)に引き続いての言葉となる。
 最初は、20代後半の☆☆さん。文中に登場するお父さんは、お仕事の人間関係のつながりから、被災地のボランティアにも出かけてきたとのことだった。

 ずっと考えているのは地震のことです。泣き虫のお父さんは毎日泣いています。もう少しで私も生きる希望をなくしてしまいそうでしたがろうそくの灯りがともったのは全国から支援が届いて被災地の人達も何とか望みをつなぐことができているからです。人間としてどうしても許せないのはそんなときでもよくないことをする人がいることです。誰かは知らないけれど留守の家に盗みに入るようなどうしようもない人がいるのは許せません。小さい私たちの存在ですが理想はとても高いので空高く昇ってゆけるように頑張りたいです。もう少しで被災地も落ち着くと思うので私たちもそろそろ涙を拭かなければなりません。みんなもどうにかしてもう一度希望を取り戻そうとしていると思うので私もまた元気に未来を願うのを日常にしたいです。わずかな希望でもあれば人は立ち上がることができると思うので何とかなるというそういう気持を取り戻したいです。夢を取り戻そうという気持ちがまた湧いてきてよかったです。私たちの友だちはみんな無事でしたが本当に被災地の障害者のことが心配です。人間の問題が突きつけられたので私も毎日そればかり考えてしまいます。問題をどうにかして乗り越えたいと思います。

 次は、20代の男性○○さんの言葉だ。
 
 少しの時間ですが聞いてもらいたいことがあります。なぜこんなに津波で人が亡くなってしまったの。不思議で不思議で仕方ありません。みんなのことがかわいそうで、僕はいつも泣いています。でももう少しのしんぼうですね。もう少しで被災地の希望を取り戻せそうです。でも私の家や私の子どもを返してという人たちの声は消えませんがいつかそういう人たちも希望を取り戻せると思いますからいつかそういう日が来ることを信じています。こんなに悲しいことがたくさんあったので私たちのように苦しみを経験してきた者はいつかこの経験を生かしてみんなの役に立てればと思いますが、まだまだ僕たちのことは理解されないので残念ですがもう少しのしんぼうですね。

 自分たちの苦しみの経験を役立てたいとの強い思いが胸をうつ。私はこの声を届けることさえできていない。無力感に感じずにはいられない。



2011年7月11日 08時46分 | 記事へ |
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