「ボラティアと社会参加」の授業に続いて、「発達と学習」の授業にも大野さんに参加していただいた。
「発達と学習」には初等教育学科の2年生と3年生がやり100名ほど受講している。この日は、大野さんが来ることと合わせて、茅ヶ崎の浜之郷小学校における「いのちの授業」をとりあげたが、最初に、大野さんにあいさつしていただいた。
お疲れのところ失礼します。僕は大野と言います。今出ている声は勝手に動くからだが発しているものですがなかなか止められないものです。なぜ今日大学に来たかというと僕が出した詩集を宣伝してくれると言われたからです。この春に僕は『きじの奏で』という詩集を出しました。なるべく多くの人たちに読んでもらいたいと思います。地域で生きていくことはとても大事なことだということをさっきの授業で話しました。僕は地域の学校で小中学校を過ごさせていただきましたが理想的な時間でした。もっと地域で生きていきたいけれどなかなか難しいですが皆さんのような若者の皆さんに理解してもらえると未来が開けてきそうな気がします。また大学には時々来るので声をかけてくださいありがとうございました。
「いのちの授業」では、江戸時代の浅間山噴火の際に発生した大火砕流によって一つの村がなくなってしまうということがあったが、その際に、高台に逃げる最中に年老いた女性を背負ったまま亡くなった若い女性のことが、発掘された遺骨とともに語られていく授業だ。今年は、東日本大震災のあとだけに、また新しい意味を持つと思われた。
大野さんをまじえた授業は、いつも以上に熱く進めることができたように思う。
時間がなかったので大野さんにもう一度感想を求めることはできなかったが、授業の後で、「僕に合わせた内容だったのですか」と大野さんに問いかけられた。もともと扱うつもりではあったが、すでに述べたように大野さんの来る日に合わせたのは事実だったが、大野さんの意見をまた機会があればうかがってみたいと思う。
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