ニックネーム:柴田保之
性別:男
年齢:56歳
障害の重い子どもとの関わりあいと障害者青年学級のスタッフとしての活動を行っています。連絡先は yshibata@kokugakuin.ac.jp です。

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2011年08月13日(土)
東日本大震災に思う 6月26日 二人の女性の会話と詩
 6月の通所指導ではIさんとMさんの二人がパソコンで対話をすることができた。
I「地震の話をしたいです。万人にとって全く未経験の話でとても私は理想を失いそうになってしまいましたがようやく理想を取り戻すことができました。私の理想はどんなときでも人は希望を失わないということですが理想がなくなりそうでした。ランプの明かりが消えてしまいそうでした。ランプの明かりは私には見えませんが私にとっては希望の象徴のようなものです。私の理想は私などのように障害を持っている人間にとってはとても大切なものです。私たちは理想がない世界ではただの困った存在に過ぎません。私たちにとって理想があるところだけが私たちの存在を認めてくれる世界です。まさに中島先生がそういう世界を理想としていた先生でしたが場所だけではなくそこに宿る精神こそが大事です。唯一の場所というわけではありませんがとても精神の優れためったにない場所だと思います。中島先生の精神を受け継いだ知子先生を中心にした先生たちがまだまだよい精神を守ってくれているので私たちは安心していますが、中島先生の話をもっと多くの人たちに聞いてほしいのですが、もう元気な姿にも声にも接することができないのがとても残念です。中島先生の録音テープをまた今年も聞けるのがとても楽しみです。」
I「ところでMさんはどこにいるのですか。Mさんは地震についてどう思ったかもし文章があったら聞かせてください。ランプのあかりということばはみんな使うのですか。私だけではないということがわかってよかったです。みんなも地震のことがわかったら自分たちのことが理解できると思っているということも私と同じです。みんなも地震のことを考えているということがわかってよかったですがなぜみんなも茫然として茫然としたところから立ち上がれるのかがわかりました。人は希望さえあれば生きられるということがわかってよかったです。Mさんの考えは素晴らしかったです。ランプの明かりを一緒にともせたらいいですね。何だか私ばかりが話してしまいましたね。Mさんの意見も聞きたいです。」
M「疑問があります。茫然とした人たちは茫然としたところからもう脱したのでしょうか。私はそれが心配です。よそのどうでもいい話はよく聞こえてくるけれど、茫然とした人たちのことがあまり紹介されないのがなんだかとても気がかりです。みんな肉親を亡くしてもう生きていられないと思った人はどうなったでしょうか。どこかにいると思うのですか私はとても気になっています。Iさんはどう思いますか。教えてください。」
I「私は茫然とした人たちはどうしているか全然わかりませんが、理想がないとその人たちは生きていけないということだけは事実だと思います。私たちは何度も茫然としてきたのでもう慣れてしまいましたが、なかなかむずかしいことでしょうが私たちは勇気を出して訴えていかなくてはなりません。Mさんもきっと同じだと思いますが、私たちはまるで津波にあったのと同じような障害を持ってきたので茫然としていてもいつかは初めは立ち上がらないわけにはいかないのは変わらないでしょう。私たちの理想はどうしても世の中には伝わりにくいのでまなざしを高く持って世の中に向かっていかなくてはいけませんが、なるべくなら世の中の人に伝えてもらえたらうれしいです。先生にお願いがあります。私たちの言葉を中島先生のように研究会で伝えてください。去年の懇親会では私の言葉を伝えていただいてうれしかったですが本当に信じてくれた人は少ししかいなかったようでしたから今年こそは伝えてほしいです。中島先生にも私たちの感謝の言葉を伝えたかったです。どうしてなかなか受け入れられないのか私にはわかりませんが茫然としているばかりではなく力強く立ち上がらなくてはいけません。そばにいる先生たちにも伝えたいです。よろしくお願いします。」
M「ぜひ私たちの言葉を伝えましょう。どんなに小さな存在でも私たちには理想があるということを伝えてほしいです。私たちの希望は誰でも理解できるようなものではありませんが、みんなにもわかってもらいたいです。理想さえあれば私たちは生きていけますがなかなかそのことがわかってもらえないので勇気を出して頑張りたいと思います。」


 大震災を通して理想が重要であるということが再確認され、そこから改めて自分たちのことを振り返ると、「理想がない世界ではただの困った存在」「理想があるところだけが私たちの存在を認めてくれる世界」ということが改めて再認識されている。そして、重複障害教育研究所という場所がその理想を宿した場所であるということに話が及んだ。
 そしてMさんはそれを受け、「茫然とした人たちは茫然としたところからもう脱したのでしょうか」と問いかける。これは、震災から日が経つにつれ、「どうでもいい話はよく聞こえてくるけれど」本当に心が傷ついた人たちに大切な話が聞こえなくなってしまったことを危ぶんだものだ。それに対するIさんの答えは、だからこそ理想が語られなければならないという強い主張を帯びている。そして、二人の気持ちはそこから自分たちの声を届けたいというふうに発展していく。もちろん、それが容易ではないことは十分承知した上でのことだが、二人はその役目を私に果たすよう申し入れてきた。(なお、その宿題は8月7日の「重複障害教育研究会第39回全国大会」で不十分ながら果たさせていただいた。)

 そこから二人の会話は、詩の話へと移っていった。

M「模様という詩を作りました。聞いてください

模様はいろいろ心を彩り
私たちに生きる希望を与えてくれる
手にとって眺めることはとても大変だけど
みんな心に模様をつけて
ゆえなき誹謗から自分を守り
ゆえなき苦悩から解き放たれる
しかし心に模様を持って
ランプの明かりを灯していこう
模様は心に希望を与え
茫然とした心から人を立ち上がらせる
未来から尊い冒険を私たちにもたらす
模様をなるべく美しく
理想を高く掲げていこう
私たちの心には
いつも誉れ高い模様が輝き
私たちを冒険へと誘う

I:Mさんはいつも詩を作っているのですか。私の詩も聞いてください。

鳥の声に私は理想の声を聞く
鳥の声は遠い昔の思い出をやさしく運び
私を懐かしい夢へといざなう
懐かしい思い出はいつもかあさんと紡いできたもの
よい仲間たちの笑い声がいつも聞こえる
ばらばらになった友だちはみんな元気でいるだろうか
みんなどこかできっと同じ鳥の声に同じ理想の声を聞き
懐かしい思い出を抱きしめながら
明日の理想を夢みていることだろう
ばらばらになっても私たちの心はともに一つの誓いを持って
同じ明日に向かって光を感じながら生きているだろう
なぜ光は私たちを照らしてくれるのか
そのわけはわからないけれど
まだ見ぬ希望がある限り
私は鳥の声に導かれながら旅を続ける。

鳥の声に誘われてという題にします。」

M「ばらばらになった友だちのことが私もとても懐かしいですがその中には亡くなった友達もいてちょっと悲しくなりました。理想は友だちがいつまでも元気で居続けてもらうことです。ばらばらになった友だちのことをいつか私も詩にしたいです。涙が出てきました。みんなのことを考えていると。人間として認められる日がやっと来たのにまにあわなかった友がかわいそうです。唯一の友の名前はどこでなくしてしまったのか思い出せませんが私たちの友だちは私たちにとってかけがえのない存在なのですが私はもう名前さえ忘れてしまいました。勇気を出して私もまた明日に向かって歩き続けたいです。○○家にはいつも笑いが絶えないけれどどこかいつも悲しみが漂っているのはせっかく生まれた私に障害があったからです。それはふだんは誰も語りませんが場合によってそれがふき出してきます。茫然としてはいませんがどこか○○家は悲しいです。」
I「地震はまだまだ人々を涙の中から解き放ってくれないけれど必ず人々は立ち上がれるはずです。それは私たちがすでに証明してきたことですから。」
M「私たちの声を必ず届けてくださいね。よろしくお願いします。」

 最後に再び地震の話に戻り、二人は、自分たちの声をしっかりと届けてほしいと念を押して密度の濃い会話を終えた。


2011年8月13日 09時23分 | 記事へ |
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