ニックネーム:柴田保之
性別:男
年齢:56歳
障害の重い子どもとの関わりあいと障害者青年学級のスタッフとしての活動を行っています。連絡先は yshibata@kokugakuin.ac.jp です。

»くわしく見る
2011年08月14日(日)
東日本大震災に思う 7月24日 
 重複障害教育研究所で先月に引き続きIさんとMさんとの対話を聞かせていただくことができた。
 Iさんは、まず、冒頭に、先月私に申し出た発表のことから話を始めた。
I:「私の勇気を理解してもらえたでしょうか。茫然としたままでろうそくの明かりが消えてしまわないようにするために私は私の意見を伝えてもらいたいです。全国大会のことです。私は勇気を出しますのでよろしくお願いします。私の意見は発表してもらえますか。(…)茫然としていた人々のことは私も未だに気がかりです。理想があまり語られなくなって私も気にかかっていました。理想が語られないと本当に復興は物質的なものになってしまうので、精神の復興はむずかしくなると思います。なぜまた物質的な話になってしまうのでしょうか。私たちは物質的なことでは絶対に救われないのでまた精神的な話をしてもらいたいです。物質的な話より精神的な話でないと本当には人々は救われないと思います。地震の後はよく精神的な話がなされていましたが、全く話されなくなってしまったのでとても心配です。特に政治家は物質的なことばかりで誰も精神的なことを言いません。仕方ないかもしれませんがマンネリ化した議論ばかりで残念です。でも被災地の人の言葉は今でもとても心に響きます。特に存分に悲しみを乗り越えた人の言葉は精神的な深さを持っていました。」

 今回は、前回の議論を引き継ぎながら、さらに「物質的」、「精神的」という言葉で理想についての話が重ねられた。そこへ、Mさんがお見えになり、二人の対話へとつづいたのだが、なんとIさんはいきなり、Mさんに「文明観」について尋ねた。

I:「Mさんに聞きたいことがあります。Mさんの文明観について聞きたいです。Mさんは自然と私たちの関係についてどんなふうに考えていますか。私は自然とただ共存するというのは間違いとは言わないけれど満足はいきません。なぜなら私たちは自然のままでは生きていけないからです。自然とは闘わざるを得ないのが人間の宿命だと思いますから。」

M:「ランプの明かりをともすためにはやはり自然とは闘わなくてはいけませんね。待てよと思うためには自然との共存は必要なことですが、理想はやはりうまくどう自然を従えていくかということだと思います。私たちは自然のままでは生きられないですから自然と闘わないと生きられません。でも自然との共存もまた大切な考えだと思います。唯一の基準は人が望みを超えるほどの欲望を持っていないかどうかです。なかなかむずかしい問題ですがよくまた考えてみたいです。」

I:「夢のようです。ランプの明かりならもうともりましたね。こんな話題が二人でできるのですから。」

M:「私はとても不思議です。みんなきっと茫然と立ち尽くした経験から立ち上がってきたので通じ合えるのでしょうね。誰でもわかり合えるとは思わないけれど私たちはわかり合えそうです。この研究所に来ている人たちだったらきっと。」


 今回の大震災は、地震と津波という自然災害と原発の事故という人災との両面から自然と人間との関係が問われた。そのことをストレートに問いかけたものだが、ここでも障害が重要な論点となった。自然がもたらした障害をあるがままに受け入れたなら自分たちは生きていくことができず、自然とは闘わざるをえないという認識である。Mさんは、その議論にさらに「人が望みを超えるほどの欲望を持っていないかどうか」というのが基準だという認識を付け加えた。そばにいて通訳をしていた私は何の事前の申し合わせもないのに繰り出されてくる確かな言葉のやりとりに、二人がいかに深い思索の日常を送っているかを思わずにはいられなかった。

2011年8月14日 01時00分 | 記事へ |
| 研究所 / 東日本大震災 |