ニックネーム:柴田保之
性別:男
年齢:56歳
障害の重い子どもとの関わりあいと障害者青年学級のスタッフとしての活動を行っています。連絡先は yshibata@kokugakuin.ac.jp です。

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2011年08月29日(月)
東日本大震災に思う 8月19日
 施設で暮らしている30代の○○さんが帰宅する日に会わせてお宅でお会いした。せっかくいい方法が見つかったというのに、なかなか広がらない現状を嘆いたあと、彼は、震災の話に移っていった。

 何度も泣きそうになったのは地震と津波のことでした。まさか泣き出しはしませんでしたがわからなくなってしまいました。なぜあんなにたくさんの人が亡くならなければならなかったのでしょうか。わからなくて毎日考えていますが答えがどうしても見つかりません。なぜ私たちはわからないと考えられているのかという問題よりももっと大きな問題でした。敏感に感じる人は誰でも悩んだことでしょう。ばらばらになってしまった親子や人を助けようとして亡くなってしまった人のことを思うと悲しくてたまりません。どうしてみんながびいどろの未来を失ってしまったのかとても理解できませんが救いになったのは人々が立ち上がろうとする姿とそれを応援しようとする人々の気持ちでした。小さい頃からなかなか理解されなかった思い出は何度も泣きそうな気持ちを呼び起こしましたが、泣かずにすんだのはこんなに僕を応援してくれる人たちがいるという気持ちでしたから。七色の虹を見たような気がしました。こんなに世の中にはまだ理想が残っているということが心からよい朗報でした。唯一の勇気の源でした。分相応と見られるだけの僕たちですが僕たちのような苦しみを持っている者にしかわからないことかもしれません。涙はけして乾くことはないけれどわずかな希望は私たちはそんな苦しみの中でも希望を持ち続けてきたように被災地の人たちも必ず希望を見つけられるということです。みんなの気持ちもきっと同じだと思うので何とかしてこのことを世の中に伝えてください。
 何度もこのことを先生に伝えたかったので今日はとてもうれしかったです。なかなか会えないので黙ったままずっと考えていました。わかってもらえてよかったです。
 とても揺れたのでぞっとしましたが電気も消えなかったし、みんな無事だったので安心しました。でもテレビで津波のことが伝えられてとんでもないことが起こったことを知り茫然としてしまいました。どうしてこんなことが起こるのかと悩みました。そんな地震と津波のことが言えてよかったです


 まったく互いに情報を伝え合うことのない状況の中で今回も、多くの障害の重い人たちとの共通の思いが書かれた。地震と津波から5ヶ月が過ぎたが、○○さんにはずっと会うことができなかった。この日々の中で、ずっとこうした思いを暖め続けていたのだと思う。

2011年8月29日 17時15分 | 記事へ |
| 家庭訪問 / 東日本大震災 |