ある学習グループでのできごと
毎月一度集まっているグループでのできごとだ。脳性マヒのための構音障害のせいではっきりとした発語はむずかしいものの、「はいといいえ」や、身振り、表情などで日常のコミュニケーションは豊かにとれている一人の少年がいる。そのグループの中では身体障害の程度がいちばん「軽く」、学習も文字と数の学習に照準を合わせてこれまで関わり合いを続けてきた。彼が示す行動も、どのように教材がとらえられているかを示唆してくれるもので、私たちにとっては、「先生」であった。そして、きっと文字を自由に読めるようになれば、トーキングエイドのような機器を使いこなしてコミュニケーションをとるにちがいないと思っていた。だが、「あいうえお」の5文字の弁別でも不正確さを残している彼には、まだまだ踏まねばならないステップがあるように思われていた。
ところが、最近になって文字の弁別のあとに、手をとって文字を書いてもらったところ、円運動で書く部分などが実に正確で、文字の成り立ちをよく理解しているように思われ、弁別学習における彼の姿との間にギャップのようなものを感じたのである。
私たちは、文字や数の問題は、「認識」の問題と考えることになれているが、彼の場合、思った以上に見え方の問題がからんでいるのかもしれないということを改めて考えるようになった。
そして、ひとしきり文字の弁別学習を行った後、パソコンでワープロに挑戦してみた。すると、けっこう画面をみながら文字を選べることがわかった。
昨日もそうやって選んでできた文章が、次のようなものだった。
さぎょうしょじっしゅうがんばり しごとみつけたい
たすけあってまいにちしごとしていきたい
どこか、あどけない彼を、知らず知らずのうちに大人として見てこれなかった自分を、恥じるばかりだ。
それとともに、彼のような状況にある子どもの書き言葉の問題を、今新たにつきつけられることになった。彼には、確かな弁別の力を身につけてもらいたい。だが、一方で、すでに存在する彼の豊かな表現の力を十分にかたちにする責任もまた、私たちにはあるはずだ。
高等部2年になった彼は職場実習が始まる。こうした表現する力を秘めた存在として、卒業後の社会に受け止めてもらえたらと思う。
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2008年5月18日 23時15分
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自主G多摩2 |
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