ニックネーム:柴田保之
性別:男
年齢:56歳
障害の重い子どもとの関わりあいと障害者青年学級のスタッフとしての活動を行っています。連絡先は yshibata@kokugakuin.ac.jp です。

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2011年09月30日(金)
東日本大震災に思う 9月26日
 残暑がようやく勢いをなくし始めた9月の終わり、障害のある兄弟のあまりにも深い会話に私は接することができた。最初にまず、兄の○○君がこう語った。

 地震について書きます。犠牲になった人たちに捧げる詩です

小さな幸せ流していった
何もかも流していった
わずかに残った忘恩の声
和と和を大事にすることがとても大事だということを
僕はなぜか理解した
全然希望は見えないけれど
びっくりしたのは人々が助け合いの心をなくさなかったことだ
人間としての最後の証しなのだろう
わずかな希望はそこから生まれそうだ
よい知らせはまだ届かないけれど
茫然と立ちすくむわずかなぞろぞろと湧く悲しみを
どうにか癒やしてくれそうだ
ずっと前から願っていた夢をもう一度取り戻し
勇気を持って立ち上がれたら
ふたたび望みはかなうだろう
理解を超えた悲しみも理解を超えた煩悩も
理解を超えた汚れた未来も
すべてまたきれいによみがえるだろう
その日をぼくは静かに祈る
一人遠いこの場所で
よい願いの開く日まで。

 地震の後ずっと色々なことを考えていましたがなかなか夏を過ぎても本当の復興はやってきません。そのことを詩にしました。わずかな理解者しかいないのでぼくたちのこんな思いは伝わりませんが、とても悲しみと嘆きを持ってこの半年を生きてきました。理解されなくてもいいけれど世の中の人に私たちの思いは伝えたいです。深く見つめてきたので私たちのことがわかるのですね。ありがとうございます。(弟に)代わります


 私には、この詩が、これまで多くの障害のある人たちによって綴られてきた詩や言葉に比べてある重さを持っていることが印象的だった。大震災から半年を過ぎた時だからこそ繰り出されてきた言葉なのだろうと思わずにはいられなかったので、そのことを○○君に話した。
 すると、弟の◇◇君は、すぐにそれを受けて次のように綴った。

 いい詩でしたね。でも先生が言ったように僕の詩よりも重いですね。確かにまだまだ被災地には悲しみがあふれているみたいで悲しみから立ち上がれてはいない人も多いですね。でもわずかな希望に支えられて立ち上がろうとしている人たちもたくさんいてそれが救いです。夏を頑張って過ごした人たちもきっといることでしょう。わかってほしいです。ランプの明かりを灯していきたいので理想を大事に生きていきたいです。微妙なニュアンスの違いがあってもなろうとしてなったわけではない障害を持っている立場からの気持ちは共通ですね。僕の死はなかなかすてきだったと言ってくれましたが、ばらばらと涙をこぼしている人にはそんな僕の思いは届くでしょうか。わかりました。なかなか僕たちの言葉は届かないのでしょうがわずかな希望は僕たちのわずかな声を先生が聞き取ってくれていることです。僕たちの声がいつか世の中に届く日が来ることが楽しみです。まだまだ時間がかかるかと思いますがよろしくお願いします。ここで話はいったん理解されないもどかしさに移っていったがその中で、次のような言葉にたどり着く。

 僕たちの言葉は別に優れているとか関係ないのでよい悪いなどは言わないでください。

 ここで私は良い悪いとは別に端的によい言葉があると言い、それは悪いの反対語のよいとはちがうと言った。すると◇◇君はこう答える。

 わかります。悪いの反対語ではないよいは大事な言葉です。
 
 ここで話が一区切り着いたという思いがしたのだが、ここでもう一度何かを語り出そうとする気配を感じた時、私は彼がさらに重い話をするのではないかと一瞬たじろいでしまい、そのことを口にした。そして、次の言葉が繰り出されてきたのだ。

 ところで僕たちのような存在は津波の時には足手まといになってしまうのでそのことがとても気になっています。なぜなら僕たちのような存在を救おうとして何人もの人が亡くなったからです。僕のかあさんもたぶんもっとも僕たちから離れられない人間なので僕はそれを思うと胸が締め付けられる思いです。僕も兄も本当はどこにいても気持ちが通じているのでわかるのですが、僕たちはかあさんには僕たちを置いて逃げてほしいです。僕たちは覚悟ができていますから。かあさん係に僕たちを置いていっても決してうらむどころか、逃げてくれてありがとうと思います。別れはいつかやってくるものですから。かあさんだけには助かってほしいです。感謝の気持ちで僕たちは波にのまれることができますから。波にのまれるのは僕たちだけで十分ですから。きっとそんなできごともあったはずですから、どうにかして僕たちの気持ちを届けたいです。もしかしたら子どもを見殺しにして泣き続けている人がいたら、きっと感謝の気持ちで亡くなったと言ってあげたいです。泣くのはもうやめてくださいと言いたいです。わかってくれますか。さっき先生は僕がこの話をすることがわかったのですか。そうですか。僕たちはみんなたぶん同じ気持ちです。 

 この、あまりのも重い話に対して兄はすぐにこう答えた。

 まさか◇◇がその話までするとは思わなかったけど、僕ももちろん同じ気持ちです。だまっておこうかと思いましたが、僕はそのことをずっと考えて眠れませんでした。私たちのような存在でも犠牲になれることがあるとしたら、そういう場面しかないかもしれませんから、そんなことまで考えているとは誰も思わないでしょうね。だけど僕たちはみんな、ご覧なさい僕たちをという誇り高い生き方をしていますから大丈夫です。かあさんにも見せてください。僕たちの本当の気持ちですから。先生ぐらいですね、この話に驚かないのは。でもさすがに動揺は隠せませんでしたね。とても深い話をさせてもらえてありがとうございました。

 たまたまおかあさんはこの時所用で関を外しておられた。私は一瞬この文章をおかあさんに見せてよいのか迷ったのだ。それを独り言のように言うと、はっきりと見せてほしいと返してきたのである。もちろんこの文章は戻ってこられたお母さんに手渡した。さっと文章に目を通したお母さんは、これは、ゆっくり家で読まなきゃねと、二人におっしゃった。兄弟と母の間に存在するあまりにも深く美しい絆がそこにあった。



2011年9月30日 00時14分 | 記事へ |
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