ニックネーム:柴田保之
性別:男
年齢:56歳
障害の重い子どもとの関わりあいと障害者青年学級のスタッフとしての活動を行っています。連絡先は yshibata@kokugakuin.ac.jp です。

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2011年10月23日(日)
3編の詩 ぶどう 百合の花 捨て猫
 暑い日は、来るだけで汗だくになって、なかなか気持ちよく始められないけれど、よい季節がやってきて、初めからとても気分良さそうに関わり合いは始まった。もちろんすべてを気候のせいにしたりするのはまちがいだけど、この日の笑顔はそんな感じのするものだった。 彼は、昔から、とても気分がよいと楽しそうに動いて、顔を近づけたりして関わり合いは求めてくるけれど、なかなか教材などに手をだしてこないということがあった。この日も、一度も座ることが泣く、1時間ずっと部屋の中を歩き通しだった。
 それども彼の横にパソコンとスイッチをかかえて寄り添って肩にすいっちを押しつけていくと、どんどん言葉が綴られていった。
 そして、3つの詩が綴られた。

 ぶどう

ぶどうのしぼりたてのような甘いジュースを
ぼくは一息に飲み干した
ぼくは一人の貧しい人生に別れを告げる
理解されない苦しみも
行き止まりのわが道も
ついにぼくは捨て去って
真新しいぶどうの実を摘みに
遠い森に向かう
勇気さえあれば世の中の煩わしさを遠ざけて
わずかなぶどうのみを探してまた旅に出る
呼ばれることもないけれど
私たちは私たちの声を心の中で唱えながら
この道を歩いて行けば
必ず道は開けてくるだろう


 百合の花

理想の花を探し求めてぼくは旅に出る
わがままな僕にもわずかな望みは理想の花を探すこと
人間としての喜びを呼んでみよう
ぼくの未来をなぜ閉ざすのか
理想の花を探しに行けば
わずかな希望を理解してくれる
望みの花をともに探そう。


 捨て猫

なぜおまえは捨てられたのか
まるで名前もないものらしい悩みに満ちた姿は
私たちのようだ
わずかな私たちの希望は
笑い声のためにかき消されてしまいそうだけど
喜びの私の歌を聴いたならば
また再び立ち上がれるだろう


 また詩の合間に彼は、お母さんから時々突然怒り出すのはなぜなのかという質問を受けて、次のような答えも書いていた。

 わがままではなくぞろぞろと昔の嫌な思い出が思い出されるときです。昔の思い出はどれというわけでもなく浮かびます。どこでも浮かんでしまうので困ります。

 いわゆるフラッシュバックと呼ばれるものだろう。嫌な思い出を突然思い出すと言えばすむものを、わざわざフラッシュバックなどという言い方をすることにより、これが特別なことになってしまって、私たち自身の経験との共通性が見えなくなってしまうことを大変おそれるが、そういう話もされた。
 終始、笑顔だった彼だが、また、ずっしりとした重い内面の世界をまたこの日も見せてもらえた。

2011年10月23日 00時05分 | 記事へ |
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