ニックネーム:柴田保之
性別:男
年齢:56歳
障害の重い子どもとの関わりあいと障害者青年学級のスタッフとしての活動を行っています。連絡先は yshibata@kokugakuin.ac.jp です。

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2008年07月31日(木)
わたしのことにいそがしくてからだをこわしてしまって…
 就学前から関わり、手の運動と姿勢の問題について、数々のことを私に教えてくれ、研究発表や授業などで何度も紹介してきた20代後半の女性○○さんが、やはり文字を綴る力を秘めていた。
 毎日、早朝から現場に出るお父さんは、休日など仕事の合間をぬって家のそばに借りた畑で、野菜を育てている。とれた野菜をあげるからと誘いを受けてうかがった。もともとは家内に声がかかったのだったが、たまたま早く帰宅した私は、くっついていくことにした。ちょっとひっかかっていたことがあったからだ。  
 6月の関わりで、私はパソコンで文字を綴ることに挑戦した。そして、確信のないまま彼女の力を拾っていくと。「ちいさいときからはな」という文字が並んだ。だが、そこで、彼女は泣き出してしまったのだ。私は、経験から、うれし泣きもあり得ると思っていたが、ふつうに見れば、わからないことを強要されていやがっているように見える。そして、見かねたお父さんは、「せっかく先生ががんばっているのにそんなにいやがるんじゃしょうがないね」と○○さんに声をかけて、「こんなにさわいでいるんで無理ですね」とおっしゃった。さすがにここで無理をしてもと思ったので、そこでパソコンはやめた。
 そして、7月は、自信が持てず、ついにパソコンを開くこともなかった。
 だが、どうしても「ちいさいころからはな」という文字が頭から離れない。野菜をいただきにあがるだけだったのだが、もし、チャンスがあればと鞄にはパソコンを入れて、お宅へ向かった。野菜をいただくはずだけだったが、私もいるということで、招き入れられ、まあいっぱいやりましょうと言って、ウィスキーのボトルが出てきた。○○さんが横になっているすぐ脇で、さっそくグラスにウィスキーが注がれた。
 話題はすぐにお母さんの健康のことになる。お父さんは、宝くじがあたったら、家のローンを払って、楽な仕事にかわって、自分の臓器をあげるというふうにおっしゃる。○○さんのためには、二人そろって長生きしないといけないということだ。その後話はあちこちに飛び、私もお父さんもすっかり酔いがまわってしまった。朝の早いお父さんは、ここで、悪いけど寝ますということで寝室に移られた。常識的にはそこでおいとまするのが当然だが、酔っていたこともあったと思うが、お母さんに、ちょっと、パソコンを出してみたいと伝えた。
 そして、1時間半ほどかけて次のような文章が綴られた。
 やはり最初はお母さんの体調と、お父さんについての思いだった。

かあさんがげんきでいつまでもながいきしてもらいたい
めんどうをみてくれてかんしゃしています
とうさんにはとてもいつもわるいとおもっています
しっかりいきてみたいけれどなかなかおもうようにならないのでくるしいけどがんばります
きもちをことばであらわしたかった
じはしっていたけどてをつかってかけるとはおもわなかった

 彼女は、未熟児網膜症でほとんど見えていないと言われていたので、この言葉には驚いた。そこで、見えているのと尋ねたところ次のような答えが返ってきた。

みえています じはちかいところならみえます
かんじもわかります

 そして、6月の関わりのことに話が及んだ。

くやしかったことがありました あんなにきもちをひょうげんしたのにつたわらなかったとです
りかいしてもらえてうれしかったからないただけです
ねがいはしんじてらうことです

 ここで、これまでの私の関わり合いについてどう思ってきたかと聞いたところ、

よくわたしのことをきにかけてくれてうれしいです

と、答えが返ってきた。さらに、文章は続く。
 
せかいいちのおとうさんです
くるしみのひびがこれでよろこびのじんせいにかわります

 「じんせい」という言葉は○○さんのの大好きな「水戸黄門」の主題歌に頻繁に出てくる言葉だ。彼女は、この歌が流れると全身に力を入れて喜ぶ。○○さんと未熟児で弱視というような点で共通している大越桂さんは、その著書『きもちのこえ』の中で、水戸黄門の歌についてふれてあるが、実は、その部分を読んだとき、○○さんと重なって、そのページから先に進めなくなってしまった。「人生楽ありゃ苦もあるさ」という何気ない歌詞が、言葉として○○さんにも届いているのではないか。そうすると私たちは大きな見落としをしていることになる…と。

とうさんにはやくほんとうのすがたわたしをつたえたい

 ここで、失礼を顧みず、いつもタオルを握って口でかんでいることについてその理由を尋ねた。
 
からだがうごかないからいちばんつかえるところをつかっているだけです

 そうだったのかと、納得した。

かあさんいつもありがとう
わたしのことにいそがしくてからだをこわしてしまって
ねがっていますかあさんがながいきをすることを
ねがっていますおとうさんがいつまでもげんきではたらけることを

 ○○さんの心からの願いである。そして最後に一言と尋ねたところ、次の言葉が返ってきた。

てがつかえてうれしい

 酔いは幸い、手もとをくるわせることはなかったが、目の前のできごとは、本当にまるで、夢のようなできごとだった。

2008年7月31日 09時03分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 研究所 |
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