ニックネーム:柴田保之
性別:男
年齢:56歳
障害の重い子どもとの関わりあいと障害者青年学級のスタッフとしての活動を行っています。連絡先は yshibata@kokugakuin.ac.jp です。

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2011年10月27日(木)
自立生活10周年記念パーティー
 東京の都下のある町で、ある障害の重い女性☆☆さんの自立生活十周年のパーティーが開かれた。会場のお店には、この英断をなさったお母さんと弟さん、そして、この10年間を支えたヘルパーさんやその派遣をしてきた事業所の方などが集まった。(この事業所は、障害のある方自身によって運営されている。)自立生活を送ってきた☆☆さんは、明確なコミュニケーション手段を持っていないので、世間的には言語理解も困難とされる方で、自分ではまったく動けないので日常生活も全面介助である。これだけ障害の重い方がアパートで自立生活を送っているという例はおそらくきわめてまれなはずだ。その生活が十周年を迎えたというのだ。無数のドラマがあり、たくさんの方々の懸命な思いがぎっしりと詰まった十年だったろう。
 その会場に私のような者がなぜ参加できたか。それはこの1年ほど、私の仲間の松田さんが彼女のアパートを訪れ、パソコンで気持ちの聞き取りをしてきて、この日は私が会場で彼女のメッセージを通訳することになったからだ。私は、この日で彼女に会うのはまだ2度目。1度目は7月のきんこんの会だった。
 きんこんの会では、自分たちと同じような障害の方が自立生活をしているということにみんな驚くとともに、大きな勇気を与えられたようだった。その時の彼女の話でとても印象的だったのは、自分の意図はうまく伝えることができないし、時にはヘルパーさんの解釈がちがっていることもあるけれど、大切なのは、何でも私に聞こうとしてくれることだという言葉だった。情報伝達よりも大切なものがあるということが実に鮮やかに示されていた。
 そして、まさにパーティー会場にはそのことを大切にしてきた方々があふれていた。
 以下は、お店の壁にプロジェクターで映し出されていった彼女のメッセージである。

 私のために今日は集まっていただいてありがとうございます。みなさんのおかげで私は自立生活を送ることができました。分相応に生きることしか考えていなかったけれどまさか一人の人間として生きられるとは思いませんでしたから私はこの十年は夢のようでした。理想的な試みだったので論より証拠の十年でした。みなさんのおかげで私は予想以上の生活を送ることができました。
 ごめんなさいびっくりさせて。私がいちばん驚いています。まさかこんなやり方が見つかるなんて思いもしなかったから。でも私は人間としてどうにかして自分の気持を伝えたかったのでこのやり方が見つかってとてもうれしいです。でも私は私がうまく言葉を伝えられなくても私を大事にしてくれた人が何より大切な人たちですから私が話せることなど小さなことです。これからも今まで通りによろしくお願いします。私はずっと☆☆のままですからよろしくお願いします。そろそろ終わりますが本当に今日はありがとうございました。私は生き続けたいのでよろしくお願いします。終わります。


 まさに、「私が話せることなど小さなこと」だという言葉にこめられたもっと大きなものが、この十年の歴史を支え続けたのだろう。多くを学び、大きな感銘を受けた会だった。


2011年10月27日 09時16分 | 記事へ |
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