ニックネーム:柴田保之
性別:男
年齢:56歳
障害の重い子どもとの関わりあいと障害者青年学級のスタッフとしての活動を行っています。連絡先は yshibata@kokugakuin.ac.jp です。

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2011年12月02日(金)
みんなのあかりコース東日本大震災の取り組み11月20日その2
 同じグループホームで暮らす40代の女性のMさんと30代の男性のIさんは、次のような文章を綴った。
 まず、Mさんの文章。

 びっくりしました、みんながわずかな希望という言葉をたくさん使っていたことに。初めての人もいるかもしれませんが、涙ばかり流している私たちはみんな希望を大事にしているのでよくわかりました。夏休みは津波のことばかり考えていました。なぜあんなにたくさんの人が亡くならなければいけなかったのか。私たちをまるでわからない日本中の人たちを、だんだん理解してくれそうな人たちに変えてくれそうな気がしていましたが、それは幻だったのかもしれません。でも人間としての煩悩を抱えながらゴンゴンと生きなければならない私たちにとっては夏までの日本人はとても素敵でした。よい心が人間には備わっているということがわかりました。

 そして、Iさんは次のように書いた。

 わずかな希望は私たちをわかってくれなかった世の中が被災地の人の悲しみを理解しようとしていたことです。わずかな希望ですがわずかであっても実現された奇跡のような時間でした。地震と津波を乗り越えてまた世の中は復興するかもしれないけれど、僕たちをまた忘れ去らないようにしてもらいたいです。私たちのことを受け入れられる世の中こそ理想の社会になるはずですから。

 MさんもIさんも、ともに、夏までの時間は、特別だったという。まだまだ震災からの復興は道なかばであり、被災地の人々の苦悩は深いが、少なくともこの関東地方では、意識していなければ震災はすでに過ぎ去ったものであるかのように感じてしまう。そのような中で生まれて思いである。IさんもMさんも、今はグループホームで暮らしているが、そもそもは、都内の他の場所から町田の施設に入所してきた方である。その時点では地域で生きることができなかったことになる。もちろん、今は、まさにこの町田という地域の中で生き、仲間もたくさんできている。お二人とも、けっして流暢とは言えないが、日常生活を過ごす上では、会話に不自由をすることはない。しかし、話し言葉で表現されたものは、内面の言葉の何分の一しか表現されておらず、時には、口をついて出た言葉が意に反していることさえあることをパソコンでの言葉を通して知った。こうした見かけの姿と、内面とのギャップは、どれだけ彼らを傷つけてきただろうか。
 ところで、Iさんに対して、「Iさんが書いた言葉は、Mさんと似ているけれど、それはどうしてなのでしょうか」とあえて尋ねてみた。すると答えは次のようなものだった。

 Mさんとは一緒にテレビを見たりしてそういう話をしましたから同じ意見なんだと思います。

 なるほごと思った。仲間だけの場面だったら突然流暢に話すというわけではないだろう。しかし、ともに本当は語りたいことをたくさん持っていてもうまく表現できないことを互いに痛いほどわかり合っているから、短い言葉が深いメッセージを伝えあうことを可能にしているのだと思った。
 いずれにしても、夏までの「奇跡のような時間」をただの奇跡として終わらせてはならない。大変困難なことかもしれないが、東日本大震災からの復興が新しい社会の原理を伴うものであることを節に願う。原理とはただ、MさんやIさんを大切にする社会ということだけである。

2011年12月2日 23時58分 | 記事へ |
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