7月の終わりにだんだんと震災のことが語られなくなっていく状況を「なんなのこれは」と危惧していた○○君が、年明けに次のような文章を書いた。
いい疑問が解けました。それは世の中の人がみんな被災地のことを忘れていなかったことです。良い時間を過ごせたのは紅白歌合戦でした。日本中の人がどよめきと共に被災地の人の声を聞こうとしていたのがゴンゴン伝わってきました。だからとても安心しました。まざまざと被災地の大変な様子を映し出していて茫然とする番組もありましたが僕には紅白歌合戦が何よりも救いでした。
夏の頃はとても失望していました。世の中の人が何も努力してくれないように思えたからです。そうでした。ほんとうにそんな感じでした。夏も終わって秋になっても政治家は馬鹿みたいなことばかり言ってましたが野田総理が僕たちのような障害者の言葉を使って演説をしたからとてもうれしかったです。先生も知っていましたか。どうして知っているのですか。紅白に救われたこと、そして大越桂さんが野田総理によって紹介されたことがうれしかったということだった。ここで私が12月に大越さんのもとを訪問し、石巻にも足を伸ばしたことを告げた。そこから、話はまた、まったく別の話に展開していった。
養護学校の生徒は逃げ遅れたと思いますがきっと頑張って生き抜いたので感謝して亡くなったと思います。なぜなら僕たちはいつもそういう気持で生きているからです。誰かの足手まといになるのはいやなのでどこで何が起こっても僕たちは覚悟ができています。わずかな希望ですが仲間の気持ちを伝えてほしいです。なぜならきっと助けられずに泣いている母さんたちがいるはずだからです。そういう母さんたちに仲間はきっと感謝の気持ちで亡くなったということを伝えたいからです。どうして先生はそこまで聞き出せるのですか。僕もまさかそこまで話す気持はなかったけれどつい話してしまいました。まるで誘導されたみたいですがもちろんどのような誘導もありませんでした。そうですね。みんなの気持ちですね。
自分たちは足手まといになりたくないということ、そして感謝の気持ちで亡くなることができるという究極の思いを聞かせていただいた。
○○さんとしては、この話はあえてするつもりはなかったようなのだが、いつのまにかその話をしてしまったことをめぐって、このようなことを書いたようだった。私は、おそらく私がいろいろな人たちの言葉を聞いているので、時間差や場所の隔たりはあるけれど、私を介してみんなが一つの語りの場を作ることになっているというようなことがあるのではないかと説明をしてみた。けして誘導するわけではないけれど、ほんの一言の言葉や相づちがそういうことを生み出しているのかもしれない。
○○さんはそのことに納得してくれたようだった。
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