ニックネーム:柴田保之
性別:男
年齢:56歳
障害の重い子どもとの関わりあいと障害者青年学級のスタッフとしての活動を行っています。連絡先は yshibata@kokugakuin.ac.jp です。

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2012年03月11日(日)
3月11日 改めて  二人の詩と俳句
 昨年の3月31日、○○君が家で作ってきた詩を見せてもらった。その詩は、被災地の中に身を置いて書かれたものだった。それを読みながら、ともかく、この詩には前書きとしての説明があったほうがいいと思い、その場でそれを求めたところ、すぐに○○君は前書きを書いたが、それは、なぜ詩が被災地に立っている立場から書かれなければならなかったかを雄弁に語っていた。前書きと詩は以下の通りである。

 ぼくの母は陸前高田出身で、祖母は被災し、二晩を高寿園で過ごしました。ぼくは高田で生まれ、松原やマイヤで遊んでいました。高田の道が瓦礫になってしまったのですが、見覚えがありました。行ったことがあると感じたら、その瓦礫の中にぼくが立っていました。そしてその立っている場所から風景が見えました。じいちゃんの家、港のところに市場があるのも見えました。

とうさんとかあさんが
白無垢を着て
袴をはいて
並んでとった写真も
僕が子供のとき
弾いたというピアノも
一瞬で流された
なーんにもなくなってしまったけど
母の手がここにあった
うすい毛布一枚かけて
手を握り合った
この手さえあれば
生きていけると思った

潮風を受けながら
カモメと働くおばさんも
こたつにあたりながら
ワイドショーを見ているじいちゃんも
一瞬でさらわれた
残された僕らは
瓦礫の中に取り残された
けれど僕らは生きている
死んでもよかったと泣き叫ぶ
それでも
生きていかなくっちゃいけないから
泣きながら
振り返りながら
生きていく


 彼がこの前の年に書いた詩は、あるコンテストで入選の内定が決まっていたのだが、私が不覚にもブログに掲載していたことがわかって、非公開というルールに抵触してしまったため、入選は見送られた。その話を聞いてまだそれほど時間がたっていなかったことと、この詩のすごさがわかっていただけに、そのコンテストにぜひ応募すべき詩だと考えたので、今日までブログに公開することは控えてきた。だが、残念ながら、今回は、最初から不採択になったとのことで、あらためて、1年後の3月11日にブログに掲載させていただくことにした。
 この詩を見せてもらった3月31日、陸前高田のおばあちゃんは、東京の彼の家に身を寄せておられた。足下に津波の波をかぶりながら、逃げきったとのことで、振り返った時には、一緒に逃げたはずの人が見当たらなかったというような話も聞いた。
 この2編の詩は、公開は控えていたが、授業で紹介したことがあり、その時には、多くの言葉の中で、とりわけ印象に残る詩として感想が語られた作品だ。

 さらに、同様に、同じコンテストで不採択になった俳句も紹介したい。彼の震災の俳句は8月と2月に紹介したが、以下の作品は伏せたままだった。改めて、紹介しておきたい。

 雪の舞う 地震の朝の 鳥静か
 夜の闇 瓦礫もおおい 月冴える
 若き日の 記念の写真 砂と空
 望みを背 また立ち上がる 強き足
 涙かれ 涙はいずる 土用波
 地震さえ なければと思う 夏過ぎぬ
 

  


2012年3月11日 00時47分 | 記事へ |
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