関わり合いの場から
http://blog.zaq.ne.jp/yshibata1958/
カレンダー
<
2016年07月
>
日
月
火
水
木
金
土
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
プロフィール
ニックネーム:柴田保之
性別:男
年齢:56歳
障害の重い子どもとの関わりあいと障害者青年学級のスタッフとしての活動を行っています。連絡先は yshibata@kokugakuin.ac.jp です。
»くわしく見る
カテゴリ
青年学級 (67)
研究所 (39)
小児科病棟 (21)
家庭訪問 (39)
学校 (19)
通所施設 (20)
他の地域 (29)
自主G多摩1 (47)
自主G多摩2 (16)
自主G埼玉2 (20)
自主G23区3 (7)
自主G埼玉1 (14)
自主G23区2 (38)
自主G23区1 (24)
自主G多摩3 (14)
自主G多摩4 (4)
自主G埼玉3 (2)
大学 (54)
その他 (21)
自主グループ(視覚障害) (9)
東日本大震災 (42)
出生前診断 (27)
きんこんの会 (31)
ダウン症の当事者 (10)
中途障害 (1)
人権侵害 (10)
最新記事
第2回介助つきコミュニケーション研究会のお知らせ(07/26)
2016年10月のきんこんの会のお知らせ(07/26)
相模原の施設の事件をめぐって(07/26)
介助つきコミュニケーション研究会 情報交換会のお知らせ(06/22)
東京新聞の記事(06/06)
2016年6月のきんこんの会のお知らせ(05/27)
きんこんの会と介助つきコミュニケーション研究会のお知らせ2(02/11)
きんこんの会&介助つきコミュニケーション研究会のお知らせ(02/11)
クリスマスに寄せて(12/25)
2016(平成28)年1月のきんこんの会のお知らせ(12/25)
最新コメント
ダウン症診断の彼や彼 by としこ(09/12)
きんこん通信発刊おめ by 須永純子(01/23)
私は病名も障害名も持 by 光(01/22)
私が漠然と疑問に思っ by 原 亨(07/22)
5月のきんこんの会に by 高橋 葉子(07/11)
oh!その日は、石橋湛 by daaaaa(07/08)
観ました!感動もので by daaaaa(01/20)
タイトルを見て、ドキ by daaaaa(12/30)
そとに探しにいきたい by daaaaa(11/25)
前回の「言葉を超える by daaaaa(10/09)
リンク集
★柴田保之研究室
私のホームページです。
★とびたつ会ブログ
町田市の知的障害者の本人活動の会、とびたつ会のブログです
★私の俳句と歌 夕焼けを見つめながら
なつこさんの俳句と短歌、詩のブログです。
★白雪姫プロジェクト
「植物状態」と言われる人たちの意識の回復のために
2012年06月24日(日)
生きる意味についての思索
5月に初めてお会いした19才の☆☆さんから2度にわたって生きる意味についての話をうかがいました。
5月初めてお会いした時、簡単なやりとりのあと、彼女が述べたのは、次のような、生きる意味をめぐる思索でした。
ご覧の通り何もできない私ですがぼんやりと生きてきたわけではありません。ずっと私は人間とは何なのかということを考えてきましたから別に世の中の人が何と言おうと私は私らしく生きてきました。自分にとって理想はよき理解者を見出してどうして私たちが生きる意味があるのかと言うことを伝えるそのことが夢でした。ぼんやりとして育った人から見ると少し考えすぎと思われるかもしれませんが私にとっては私が生まれた意味がわからないと私をなかなか保つことさえ難しいからです。理想をそのまま語ると私にとって私の生きる意味は私たちのような存在でも生きる意味があるのだからどんな人にも生きる意味があるということですが楽な人生ならそんなことは考えはしなかったでしょうね。でもこうして私はぼんやりとは生きてこられなかったのでわざわざそういうことを考えてきました。なぜ私に生きる意味があるのかというと黙ったままの人生でも人は希望を持って生きられるということを証明できたからです。なかなか信じられないかもしれませんが私は希望をなくしたことはありません。小さい時からずっと母さんにたくさん愛情を注いでもらいましたから私はとても幸せです。
彼女には、ずっと病院生活をしいられるくらい重い障害がありますが、その中で見出した自分の生きる意味というものについて、堂々と述べられています。よどみなく語られたその言葉には、彼女が長い思索の後にたどりついた結論というような決然とした響きがそなわっていました。そして、6月23日のことですが、再び病棟を訪問したところ、今回は、最初に数編の詩を聞かせていただいたのですが、その後、再び生きる意味についての言葉を次のように述べました。
私だって普通に生きたかったのにこんな状況はいやです。だけどそれはどうにもならないからあきらめたというと聞き違いが起こりそうですが、私はこの体でしか生きられないという現実からスタートするしかないのです。しかしそういうことに気づいたときに初めて私にも生きる意味があることに気づいたのです。
それは私が一人で考えたことです。誰に教わったわけではありません。じっと一人で考えてきたのですがやさしいかあさんにずっと支えられて来たから考えられたということを忘れるわけにはいきません。諦めずにすんだのはじっと側で見守ってくれた家族がいたからです。かあさんやとうさんたちの愛情のおかげで私は今の静かな心を取り戻すことができたのです。だからかあさんには感謝をしてもしきれません。
6月の言葉は、お母さんとのやりとりの中で語られたものですが、5月に述べられた思索が、どのような経緯から生まれたものであるかを明らかにしたものでした。
2009年、15才で亡くなった臼田輝(ひかる)さんは、
苦難それは希望への水路です。けっしてあきらめてはいけないということを教えてくれます。手の中に美しい諦念を握りしめて生きていこうと思う。美しい諦念は真実そのものです。苦しみの中で光り輝いています。手の中にある真実はさいわいそのものです。望めばいつでも手にはいりますが誰もこのことは知りません。なぜなら人間は常に楽な道のほうを好むからです。生きるということは苦難と仲良くしてゆくことなのです。
という言葉を残していましたが、☆☆さんによって語られた「あきらめた」という言葉も、単純なあきらめではないのでしょう。それは、容易に言葉にはなしえないものなのでしょうが、それをおそらく臼田君は、「美しい諦念を握りしめて」と表現したのだと思います。私たちが日常的に使うあきらめとははっきりと一線を画すものにちがいありません。
「私はこの体でしか生きられないという現実からスタートするしかない(…)ことに気づいたときに初めて私にも生きる意味があることに気づいたのです」という言葉は、おそらく私のようにそのような体験を持たない者には本当の意味はわからないかもしれませんが、その体験の輪郭を私たちにはっきりと教えてくれるものでした。
2012年6月24日 20時23分 |
記事へ
|
コメント(0)
|
|
その他
|
コメント
コメントを記入
お名前
(必須)
:
パスワード:
メール:
URL:
非公開:
クッキーに保存:
※非公開にチェックを入れると、管理者のみにコメントが届きます。
ブログの画面には表示されません。
AaAaアァあぁ漢字
(ここにプレビューが表示されます)