ニックネーム:柴田保之
性別:男
年齢:56歳
障害の重い子どもとの関わりあいと障害者青年学級のスタッフとしての活動を行っています。連絡先は yshibata@kokugakuin.ac.jp です。

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2012年07月10日(火)
言葉を超えるものの存在
 今年の8月4日と5日に開催される重複障害教育研究会の第40回全国大会で、長い間、気持ちを表現するすべを持たなかった当事者による研究協議が予定されています。普段は、実践報告とその研究協議というかたちがとられるこの研究会で、こうした試みは、初めてのものです。このアイデアを提案し、実現を強く訴えたのは、この研究所の亡くなられた前理事長中島昭美先生に幼い頃に出会って、今もなお研究所に通っている40代の女性、名古屋和泉さんです。名古屋さんは、全盲で、手を引かれると何とか歩くことができますが、自由に手を使えるわけではありませんし、言葉を表現する手段は、まったく持たずにこれまでの日々を生きてきました。彼女の言葉を初めて聞いたのは、3年前の研究会の懇親会の席でしたから、つい最近のことです。
 昨年の研究会では、ぜひ私たちの言葉を研究会で伝えてほしいという強い希望を訴え、私は、通所する方々が東日本大震災についてkat語った言葉をまとめて報告させていただきました。
 そして、今年は、私たちの通訳で、自身の言葉で語るというのです。
 当日は、そんなにたくさんは話せないだろうからと、先日、彼女は次のような文章をしたためました。

 銀色の風が吹いたのは私の言葉を聞き取る方法が見つかったからです。なつかしいのは私を本当に理解しようとしてくれたたくさんの先生がいたことです。私に言葉があるとかないとかそんなことを越えてつらいこともものともせずに私によい関わりをしてくださいました。なぜ私にそれがわかったかというと私たちは本当に私たちをわかろうとする人とそうでない人の違いならすぐに感じ取れるからです。どうしてかというと私たちには理解されていないと感じられる人がいると私たちをないがしろにした空気が流れることがわかるからです。だから本当に理解してくれる人たちの前でだけ本当の自分を出すようにしてきました。
 だから私たちには理解を超えた先生は中島先生などのように私たちはとても偉い存在だと言ってくれた先生です。中島先生に私はとても長い間お世話になってきましたが中島先生だけだったです、そこまで私たちをどうでもいい存在どころかどんなにすごいかと言ってくれたのは。私にとって中島先生の考え方を学んだ柴田先生がこういうやり方を発見したということは必然的なことだったと思います。なぜなら私たちのような存在は世の中では役に立たない存在と思われていて私たちの存在にこだわろうとすること自体がまれなことだからです。私だけではなくこの研究所で学んだ生徒はみな中島先生のことを私たちの最大の理解者だと思っています。どんな敏感な先生でも私にとっては中島先生にかなう先生はいませんでした。
 それは中島先生だけが私たちのことを午後の問題だと減じることなく午前存分に語るべき問題だと考えてくださったからです。中島先生は午前という言葉で私たちを表現したことがありました。それは何よりも大切なという意味です。わずかにどんな私たちに対しても午後の問題として考えてくれる人はたくさんいましたが中島先生だけ何よりも私たちの存在が大切だと言ってくださいました。
中島先生が亡くなってからは知子先生が中島先生の精神を引き継いでこられましたがどういう拍子かわからないけれど私たちの言葉を聞き取る方法を柴田先生が見つけ出して、人間として私たちが何でも理解できているという事実に光を与えてくれましたが、それは中島先生が私たちの存在の確かさに光を与えていたからこそできたものです。そのことをこの研究会に来ている先生たちにはわかってもらいたいです。そしてがんばってこの方法を伝えようとしている柴田先生や知子先生を応援してほしいです。
 でもわすれてはいけないことがあります。それは言葉を超えるものの存在です。私たちはこの方法が見つかる前から言葉を超えるものの存在によって生かされてきました。だから言葉を話すことなく亡くなった仲間たちもけっして不幸だったわけではありません。もちろん話せた方がいいことは当然のことですが話すことがすべてではありません。話すことだけに目を奪われてしまうとかえって言葉を超えるものの存在がないがしろにされてしまうかもしれません。
 言葉を超えるものの存在を中島先生は魂とおっしゃいました。魂の意味は私にはよくわかりませんがとてもいい言葉だと思って先生の話を聞いていました。言葉を超えるものの存在が先にあってそのあとに言葉の問題が来るのであって、その逆ではありません。しかしこの方法が広まれば必ずそういう問題が出てくるでしょう。その時代はまだまだ先でしょうが必ず来るはずですからふだんから気をつけておかなくてはなりません。
 長い間沈黙の中で生きてきてそのまま死んでいくと覚悟していたので私にとっては夢のようですが、突然すぐ身近でこんな方法が見つかって驚きましたが、私にも言葉を話すチャンスが巡ってきたので存分に話したいです。そしてたくさんの後輩や仲間たちに一刻も早くこのことを伝えたいです。
 でも私よりも先に言葉を話すこともなく亡くなっていった仲間の存在も決して忘れないでほしいです。彼らがいたからこそ今日(こんにち)があるのです。そのことがどうしても訴えたいです。
 毎年この研究会で中島先生の講演を聴くのが楽しみでしたがもうそれはかないません。しかし私はずっと中島先生の言葉を大事に暖めながら生きてきました。こうして話せるようになってもそのことは変わりません。どうか私たちを大事にしてくれた中島先生の午前の話を大事にしてほしいです。そして私たちの言葉と魂に耳を澄ませてほしいと思います。以上ですが、最後に詩を書きます。


  中島先生に捧げる詩

私にも魂の叫びがあることに
いちはやく気づいてくださった中島先生
人間として認めてくださっただけでなく
その存在を高みにあげてくださって
私たちに生きる意味を与えてくださいました
私はもうそれだけで十分でしたが
私は不意に話せるようになりました
私はもう何も望むものはありません
中島先生の亡きあと
私は中島先生のすばらしさを語ることに
自分の頑迷な心をひたむきに捧げたいと思います
理想の世界はまだまだ空の彼方にあります
午後からの存在に甘んじてきた私たちですが
午前の存在として認められる社会はまだまだです
中島先生の亡くなられたあと
日本は大変な地震によって
その根本からひっくり返されました
世の中が一瞬
私たちのような存在に光を与えようとしましたが
またただの一回だけの出来事として
忘れ去られようとしています
しかし本当はこの機会に
日本は生まれ変わらなくてはなりません
そのためにも私たちは今こそ私たちの存在を
世の中に訴えていかなければならないのです
私には難しいことはわかりませんが
私たちの生きる意味を訴えていく使命があるということを
中島先生から教わりましたから
その使命を果たしていきたいと
心から願います。
 

2012年7月10日 20時11分 | 記事へ | コメント(0) |
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