「のぞみどおりにはなせるようになりましたか」
子どもの頃から言葉を話したかったということを切々と訴え、友達が亡くなったときも何も言葉にして言うことができなかったということを切々と語った小5の○○さん。これで、3度目の関わりとなる。2月に大切な友達を亡くしたという。そこで、そのお友達にあてた文章を書いてみたらと提案した。
そして書かれた言葉は次のようなものだった。
○○○ちゃんへ
そちらでもげんきですか
のぞみどおりにはなせるようになりましたか
もしはなせていたら こんどいっしょにはなそうね
どうして○○○ちゃんはわたしをおいてさきにいってしまったの
わたしはとてもさびしいです
めのまえのなやみはたくさんあるけど
わたしはまだげんきだから
○○○ちゃんのぶんまでがんばりたいです
のぞみどおりのじんせいをいきられるように
がんばりたいとおもいます
彼女が初めて言葉で気持ちを話せたのは、友だちが亡くなった翌月の3月のこと。ともに、小さい頃から言葉を話せずにいて、はなせるようになることをともに夢見てきた。しかし、自分は願いがかない、友だちはかなわずに逝ってしまった。
私も、もう少し早く出会えていたら…と思うけれども、そこが出会いの偶然の非情だ。せめて与えられた機会を無駄にしたり逃したりしないということだけが、私たちのできることだ。
|
2008年8月11日 23時41分
|
記事へ |
コメント(0) |
トラックバック(0) |
|
自主G多摩4 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/yshibata1958/trackback/45/