ニックネーム:柴田保之
性別:男
年齢:56歳
障害の重い子どもとの関わりあいと障害者青年学級のスタッフとしての活動を行っています。連絡先は yshibata@kokugakuin.ac.jp です。

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2012年07月20日(金)
「なぜごんたな僕にも言葉があるとわかったの」ある通所施設での出会い その3
 3人目にお会いした方は、ずっと手を耳に押してているためにうまく手を使うことができない方でした。
 すぐに、次のような気持ちを聞かせていただきました。

 がんばっても手が使えないので困っていましたがなぜ腕でできるのですか。小さい時から話したかったのでうれしいですが肘はくすぐったかったですがよく原理が分かりました。はいそうですが肘ほどではありません。はいびっくりしました。なぜそんなに簡単に分かるのですか。ずっと何もできないと言われてきたので不思議で仕方ありません。
 わざわざ来てくれてありがとうございます。わがままかもしれませんが他の人も気持が聞いてもらいたいと思っているのでまた来てください。わかってもらいたかったです。自分だけ悪いですがなぜ僕が選ばれたのですか。ありがとうございます。
 僕がなぜ耳に手を当てているかというとぶんぶんと音が聞こえて困るからです。はいそうです。機械の音が困っていますがこれを止めたらどうなるのか分かっているので諦めていますが私たちはとても過敏なのかもしれませんがぶんぶんはとてもつらいです。
(送風の音が止まる)静かになってよかったですがまだまだ音があるので困ります。ただ見守っていてくだされば結構です。
 みなさんとてもやさしくて僕は感謝しています。なぜみなさんそこまでやさしいのですか。よい人たちに囲まれて僕たちは幸せですがこんな人まで連れてきてくれて僕の気持ちを聞こうとまでしてくれてありがとうございます。
 誰とは言いませんがなるべくそっと声をかけてください。そうです。音楽にはとても厳しいです。いい演奏と嫌な演奏の区別が細かいようです。みんなが感動する音楽はいいのですがそれほどでもない音楽は苦痛です。そうです。バックミュージックは苦痛なのが多いです。そうです。声は何とか落ち着きますから声がないと不安です。わざとではないことを理解してくれたらうれしいです。
 挽回したいですがなぜごんたな僕にも言葉があるとわかったのですか。わかりました。理解してもらえてうれしいです。なぜ足でもわかるのですか。なつかしいです。まだ小さい頃には何でもわかっていると思われていたことが。まだ手が使えていたので指させていました。出も小学校で厳しい先生に会ってこういう手になってしまいました。(その手つきは身を守る姿勢ではないですか。)そうです。なぜわかるのですか。(そういう人に会ったことがありますから。)どこで。(どこだったか思い出せないけれど、何度か目にしたことがあります。)そうてすか。どこにもいるのですか。そうでした。毎日つらかったけどなかなかわかってもらえませんでした。
 夢のようです。私たちとまた話をしてください。ずっと待ちこがれていました。言葉を聞き取ってくれる人が現れるのを。だけどもう諦めそうになっていましたからうれしいです。わかってもらえてよかったです。がんばる気持ちが湧いてきました。抜群のやり方ですね。よいやり方なのでみんなの気持ちも聞いてあげてください。
 学校ではピアノの曲が好きでした。わずかな疑問はなぜ僕が音楽に詳しいと思ったかということです。そうですか。僕はいつも素敵な音楽のことを考えていますが誰も気づくはずもありません。でも僕はいつも何かを歌っています。人間として気持があるので小さい時から歌ってきました。人間としての証しだと思ってきました。はい。なぜわかるのですか。どこであったのですか。ぼくはずっと歌っていました。いい歌詞です。

願いに夜は更けていく
人間として育ってきたのに夢をなくし
人間として望みをなくしてさまよって
僕は暗闇を生きている
だけどいつか夜は明ける
びろうどの夜のとばりが上がるとき
僕は新たな人間として
望みとともに立ち上がる。
はい階名で

ドレミフドレミフ ラソフラソ ラソフラソフミ ドレドシド
ラソフラソフミ ラドシラドシラ ドレミフミレド レレドシド
ラソフラソフミ ラドシラソ ラドシラドシラ レフミレド
ドレミフミレド フミレドレ ラドシラドシラ レフミレド

なぜか書けましたが少し違いましたが雰囲気は合っています


 とても音に対する歓声が鋭いために、生活音の中に不快な音がはいっていて、そのために手を耳にあててしまっているという説明が最初にありました。そして、それはまた、音楽に対して鋭いということも表していたのです。感動するような音楽はいいけれど、普通の音楽だったらうるさいというのは、初めて聞いた言い方でした。
 そして、実は、その手を耳にあてる習慣は、小学校の時の厳しい先生がきっかけだったと言うのです。詳しいことはもうわからないのですが、無理解な厳しさは、なかなか癒えない傷を残してしまうということを、ご本人の言葉として何度か聞いたことがあります。本当に彼が「挽回」できるといいとつくづく思いました。

2012年7月20日 12時22分 | 記事へ | コメント(0) |
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