関わり合いの場から
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プロフィール
ニックネーム:柴田保之
性別:男
年齢:56歳
障害の重い子どもとの関わりあいと障害者青年学級のスタッフとしての活動を行っています。連絡先は yshibata@kokugakuin.ac.jp です。
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2012年08月17日(金)
新しい家族のかたち
重複障害教育研究会の全国大会に向けて文章を書いてもらった日、印刷用の文章をかきおえたあと、田所君は、自由に次のような話をしました。
ぼくたちはいつか必ず施設に入るということを覚悟してきたので、ぼくもいつ施設に入ってもいいと思っています。おかあさんはいつまでも手元に置きたいと考えているので、ぼくは、可能な限り家にいるつもりですが、創輔君の話を聞いてさすがに創輔君の家はうちとは違うのだと思いましたけど、これはどちらがいいとか悪いとかではないので、うちのやり方と吉田さんのやり方があるだけのことです。どちらもすばらしいと思います。
ぼくの家はおかあさんもおとうさんも障害があるので、ほかの家とはずいぶん違いますが、そのおかげでぼくの家では、障害ということについての理解がほかの家よりは進んでいるはずです。だからぼくの家には、いろんな障害のある方がいろいろ訪ねて来ますし、その人たちは、ぼくに言葉があったことを誰も疑いません。なぜなら、その人たちはぼくの顔を見てればわかると言います。
その言葉がぼくにはとても意外でした。なぜ、みんなは疑うのかというと、その人たちは、柴田先生の方を見ているからです。だから、みんな疑うのだと思いますが、ぼくたちの仲間の障害のある方々は、柴田先生の方を見たりすることはないと思います。みんなぼくの方を見るから、ぼくがほんとうに語っているかを見るのは簡単らしいです。そのようなことがあるなんて当たり前のことだと思っていたのですが、柴田先生を見ている人は、あまりにもこの方法がすごすぎて、疑うのでしょうが、ぼくたちの仲間は、方法はどうでもいいと思っています。方法よりも大事なのは、ぼくのことなので、ぼくの顔を見て喜んでくれてそれで終わりです。だからほんとうは簡単なことなのではないでしょうか。
もし柴田先生がぼくたちの言葉でないものを言ったら、ぼくたちがとんでもない顔をするのは見えているし、たぶん大きな声で拒否するでしょう。だって自分の言葉でもないものをすらすらと嘘の言葉として言われたら、そんなたまらないことはないからです。だからぼくたちの言葉があっているというのはそれだけでも当たり前のことです。疑う人は障害者のことが何もわかっていないということです。ぼくたちのことを見ていれば、人間だから、自分の気持ちに反したことを言われたら拒否するし、自分の言葉通りだったらそれらしい顔をするということは、あまりにも当たり前のことなのに、世の中の人はそのことにさえ気がつかないみたいです。
だから、うちではぼくはもう言葉を理解している存在としておかあさんの友だちから思われていて、おかあさんも、その人たちとの間では、弘二ががね、弘二がねと言っています。だから、弘二の言葉は誰も疑わないのが、障害者の間での理解ですが、健常者はやはり障害者のことがわからないということなのでしょうね。
いつかぼくたちの代わりに闘ってくれる人も出てくるかもしれませんし、ぼくたちは体が弱いので闘えないけれど、元気な障害者はすぐに闘うから、ぼくたちのことでいつか闘ってくれる日が来るだろうとぼくは思っています。まだ、そういう人たちに声が届いていないのが残念ですが、きっとぼくたちの言葉のことが問題となった時に、力のある障害者が必ず立ち上がってくれて、ぼくたちを守ってくれるというのをぼくは知っています。ぼくたちの仲間は、障害の程度にかかわりなく、障害者として連帯しているので、ぼくたちのことがもう少し世界に伝われば、必ず、元気な障害者が立ち上がるはずですから、そのときは先生のことをきっと守ってくれると思います。その人たちは先生を守るのではなく、ぼくたちを守るためだから、先生のことなどはっきり言ってどうでもいいはずですから、ぼくたちのために立ち上がるし、その時に先生のこともあわせて守ろうと思うのでよろしくお願いします。
ぼくは、今日は少し興奮して、ふだんは絶対に言わないだろうというようなことを言ってしまいましたが、ふだん言ってないから別にいいのだと思いますが、ふだんはお互いに穏やかな気持ちでつきあいたいと思っているのですが、今日は、思わず言いたいことを言ってしまいましたが、うちの家庭は障害者の家族なので、実は、それに関しておかあさんはそうとう苦労してきました。障害のあるおかあさんが、障害のある子どもを産んだからなんということはないのに、そのことでいろいろ言われたこともあるし、障害のある人間同士が結婚したこともいろいろ言われたみたいだし、そういう社会の中でうちの家族は生きてきたので、とても強い面と、人からいろいろ言われると弱い面も持っていますが、こうしてぼくも話せるようになったので、うちの家族を堂々と誇りにしたいと思います。障害者が障害者を産んだというのは、実は悲劇ではなくてとても誇るべきことです。実は障害者の間にはそういう考えがあるのを先生は知っていますか。障害者はほんとうは障害者を産みたいと思っているという考えがあるのを先生は知っているのですね。そういう人たちは健常者が産まれたということを悲しむということは別にありませんが、障害者が産まれるととても喜ぶと聞いたことがあります。なぜなら私たちの考えを理解する子どもが一人家族の一員となったからだと聞いたことがありますが、その人たちもきっと同じ考えだと思います。
これはほとんど誰も言うことのない話なので、ぼくが代わりに言いましたが、だから、ぼくが産まれたことは、まちがいなのではなくて、ぼくが産まれたことが、一つの新しい家族のかたちだったと思ってきたので、そのことも言えてよかったです。新しい家族のかたちという言葉はまた改めて文章にしたいので、先生、よろしくお願いします。このような話までできるとは思わなかったので、驚いていますが、ぼくたちにとて、まさしく、このようなやり方が新しい人生の始まりなので、ぼくも、あとわずかの人生なのか、もっと長く生きられるかわからないけれど、残された時間は、新しい家族のかたちを考えながら、新しい人生を始めたいと思います。おかあさんとおとうさんのこともぼくはとても誇りに思っているので、その言葉をぜひ一度、かたちにしたいです。今日の文章には間に合いませんでしたが、ぼくにとって新しい家族のかたちという新しい言葉が今生まれたので、新しい家族のかたちというのをぜひ文章にしたいと思うし、先生はぜひあちらこちらでそれを言っていただきたいと思います。
先生の声を聞いているだいたい先生の気持ちはわかるのですが、相当に感動してくれたことはわかりましたので、ぜひあちこちで言っていだだきたいと思います。そこに学生さんがいるのですか。たぶん新しい授業の内容になると思うので、聞いてあげてください。先生が新しい家族のかたちと言い出したら、あああれは田所君のところで聞いた話だということで聞いてもらいたいと思います。新しい家族のかたちについて少し長く話させていただいたので、ぼくの話はこれで終わります。
この間、廣瀬岳さんの文章を紹介しましたが、これは、それに先だった語られたもので、廣瀬さんとも話題にしたものでした。
障害のあるお母さんから障害のある子どもが産まれるということは、新しい家族のかたちだと言い切る田所弘二さんの考えは、私自身、ほんとうにわかっているとは言えないかもしれません。しかし、そこには、根本的な鋭い問が横たわっていることだけは確かです。3才になる前から関わりを始めた田所さんも、もう30を迎えます。これまでの長い時間を経て、今、こうしたことが語りあえているということに、ただただ、敬服するのみです。
2012年8月17日 01時45分 |
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