ニックネーム:柴田保之
性別:男
年齢:56歳
障害の重い子どもとの関わりあいと障害者青年学級のスタッフとしての活動を行っています。連絡先は yshibata@kokugakuin.ac.jp です。

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2012年09月16日(日)
出生前診断をめぐる問い 二人の言葉
 ある学習会で、二人の方が、出生前診断について、切実な表情で次の問いを投げかけてこられました。社会は、この問題に何らかの結論を出す以前小段階で、すでに障害者と呼ばれる人々を同じ人間であるにもかかあわらず完全に排除してしまっていることが明らかです。


ランプの明かりがまた消えた
私は悲しみとともに祈り続ける
ランプのあかりは東北を照らしたかに見えたが
またランプは消えてしまった
未来につながる明かりだったのに
ランプのあかりよどこにいった
私の心にわずかにともるランプの明かりさえ
もうとてもその光は失われてしまいそうな
消えそうなものになってしまった
わずかな希望は明かりの長い残り火は
被災地の人々の心の中で
こっそりとまたともる日を待っていることだ
勇気がほしい
私の中にともったランプがまたともるように
闘い続ける勇気がほしい。

ついにランプの火が消えたと思ったのはついに私は生まれるべき存在ではないとそういう世論が形作られてしまったからです。震災では私たちの存在も同じ命だという世論ができそうだったのにばかばかしい議論が平然とされ本当に絶望しています。



 気になることがありました。それは出生前の診断のことです。こんなばかなことがあっていいのかと思って頭にきています。どうでもいい命なんてないのに許せないです。わずかな変化が日本にもあったと思っていたのに悪くなっていました。どうしてこんなことがまかり通るのでしょうか。つらいのは何も知らされずに生まれられないままの子どもです。許せません。許し難いのは誰一人僕たちの意見を聞こうとしないことです。なぜ車イスの話せる障害者みたいな人でいいから話させないのでしょうか。びっくりしたのは何も知らない人が人間としての存在を否定した言葉を言っても否定する人がいないことです。ダウン症の仲間も同じ人間だと思うのにもうみんなこの世の中では生きられないと悲しんでいることでしょう。小さい人間だって人間です。なぜどうして人間として生きられないのでしょうか。




2012年9月16日 23時33分 | 記事へ | コメント(0) |
| 自主G23区1 / 出生前診断 |
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