関わり合いの場から
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プロフィール
ニックネーム:柴田保之
性別:男
年齢:56歳
障害の重い子どもとの関わりあいと障害者青年学級のスタッフとしての活動を行っています。連絡先は yshibata@kokugakuin.ac.jp です。
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「植物状態」と言われる人たちの意識の回復のために
2012年09月17日(月)
出生前診断 改めて私の意見
東日本大震災の後、3月11日に生まれた子どもたちの映像を組み合わせた「ハッピーバースデイ」というユニセフのCMが感動を呼んだ。その映像の冒頭の赤ちゃんは、ダウン症だった。しかし、映像ではそのことにはいっさいふれられることはなかった。あの震災直後の日本では、生まれた命はすべて喜ぶべきものであり、ダウン症などと区別する必要はまったくなかったのだ。私はそのことを意識した自分がとてもいやだった。あれからわずか1年半しか経っていない日本で、今、出生前診断が話題になっている。そして、その時必ず話題になるのがダウン症だ。しかし、なぜ、ダウン症であろうとなかろうと生まれた命は素晴らしいと震災直後に大勢の人が素直に感じた思いが語られないのだろうか。どんな生命であれ平等だとする議論に私は賛同するが、その議論は、やはりある違いを前提にしている。しかし、ダウン症の人と私たちは何が違って何が同じかということがきちんと語られていないと私は考える。出生前診断が今議論になるのは、医学の進歩があるからだろう。しかし、進歩しているのはけっして医学だけではない。ダウン症と呼ばれる人たちに対する具体的な理解もまた進歩している。その例は枚挙にいとまないが、例えば毎週日曜日の8時にダウン症の書家金沢翔子さんの平清盛の題字が放映され全国の人々が、そのすばらしい表現を違和感なく受け入れている。まだ、多くの人は、彼女を例外と考えているが、それは古い枠組みである。彼女の存在は、ダウン症という障害の新しい理解の枠組みを提示しており、存在として私たちと何ら変わるところがないということを示しているのである。今回の報道で解せないのは、せっかく独立した人格としてマスコミに登場し始めたダウン症当事者の発言を報じないことである。暗黙のうちに彼らは議論の外に置かれようとしているのだ。そして、それこそ、実に古びた枠組みにすぎない。私は、ダウン症の方々と親しく接する場に身を置いているが、そこでは、私たちと彼らの間にいかなる線を引くこともはばかられる。そして、ダウン症などという、一人の医者の名前と病気でもないのに「症」をつけてしまった呼称は、関わりの場では使うことさえおぞましい言葉だ。私たちはただ相手をその人のかけがえのない名前で呼ぶだけだ。
2012年9月17日 00時02分 |
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