ニックネーム:柴田保之
性別:男
年齢:56歳
障害の重い子どもとの関わりあいと障害者青年学級のスタッフとしての活動を行っています。連絡先は yshibata@kokugakuin.ac.jp です。

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2008年08月22日(金)
「苦悩は腕の中で砕けちっていった」―「地下にいた」少年の闘い
 もう数年前のことになるが、ある研修会で報告をしたあと、うちの学校に来てもらえないかと声をかけられた。そこで私は、不遜な申し出をした。見学して意見を言う授業研究だったら私にはそんな力はないので、具体的に子供に関わらせていただきたいと。そして、そのことが実現した。その中で○○君と出会う。担任の先生が私との関わりを希望したとのことだった。このお子さんが言葉をわかっているかどうか私にはよくわからないが、お母さんがそうおっしゃることと、一度だけそれを感じたことがあるということで、まず、ひらがなの学習をひたすら伝えるかたちでやっていることを見せていただいた。私だって、本当に彼がわかってるのかなど判断する根拠はなかなか見いだせない。ただ、その先生の熱意とわかりにくいけれども集中していることをうかがわせる彼の態度だけがその可能性を伝えてきた。そして、2度目の関わり合いで、彼の言葉をパソコンによって引き出すことができた。「おかあさんすき」というわずか7文字ではあるが、大きな一歩を踏み出すことができた。そこから家庭では、口頭で「あ、か、さ、た、な」と聞いていって、わずかな返事を読み取って行をしぼりこみ、さらにその行の文字をしぼりこむという方法での表現方法の追求が始まり、学校では、彼の力を信じて、学習の内容は、どんどんと複雑なものへと発展していった。その後、いろいろな経緯があって、保護者主催の自主的な学習グループとして大勢の生徒さんと出会う場所へと発展していって、今日にいたっている。
 彼はいろいろな意味でパイオニアであり、こうした動きを先導していったのは、まさしく彼の強い思いだった。しかし、大勢の人数なので、今回久しぶりに会ったのは、8ヶ月ぶりだった。
 そして、読み取りの方法が最近かわったことを伝えて、関わり合いが始まった。するとさっそく、

しばたせんせいすごいね くぐりぬけたんだね

と返ってくる。この日、全文で860文字を越えるものとなったが、最初の数文字で、彼は、新しい方法を理解してくれたのだ。彼は、なんと言っても力強さがその信条だ。

くるしかったけどねがいがかなってうれしいとおもう せっかくだからげんきにはなしたいとおもう

と前置きして、文章が綴られていく。

(…)くるしいときにはくなんのときをおもいだしてきもちをたてなおしている
いつもうらやんでいたおとうとのことをうらやむだけではなくげんめつしていた
しかしことばをはなせるようになってからおれのいきかたはかわっていき つよいきもちできをつかうことができるようになった
くのうは うでのなかでくだけちっていった
げんめつはきぼうへとかわっていった
すうがくのべんきょうやりかのべんきょうはなかなかやってもらえないけどつとめていおうとしてきた
えらぶことはむずかしいけれどいままでよりもずっとましなのでがんばるつもりだ
くなんのときをおもいだしながらきぶんをなおしながらがんばっている

 新しいスイッチ操作の方法については、

きもちがいいくらいすらすらとことばになっていくのでおどろいた いいほうほうにきがついたねせんせい
ふしぎでたまらないどうしてよみとれるのか
と書き、さらに
(…)ねがいはだれでもできるようになることだ
ずっとねがってきたけどなかなかかなわないでくやしい
うちでもできればいいけどとてもかないそうになくてざんねんでたまらない ついそうおもってしまう くつうではないけどくやしい(…)

と書いた。そして、前半はスライド式のスイッチと後半はプッシュ式のスイッチ(ビッグスイッチ)でやってみたのだが、プッシュ式のスイッチについて、
 
このすいっちのほうがかんたんです
ふしぎだどうしてわかるのか
ちからをいれるまえにつたわるのはどうして

と尋ねられたので、運動を実際に起こす前の準備のために加えられたわずかな力を読み取ることにしたことと、実際に運動を起こすといろいろなハンディがそれぞれの障害の状況に応じて起こるけれども、準備のところでは、みんなハンディがほとんどないということを伝えた。
 省略したところには、なかなかわかってもらえない悔しさも言葉を変えて繰り返し綴られていた。
 彼は、かつて、自分の理解されない状況を「ちかにいた」と表現したことがある。そして、別のともだちがようやく文章表現にたどり着いた時には、

☆☆☆さんのわかっていることをせんせいたちにりかいしてもらえてよかった。りかいしなければやきをいれてやるところだった。はずかしいとおもうべきだ。いままでかかるなんておそすぎたけどきづかれないよりはよかった。いがいせいこそのうりょくのひとつだとしるべきだ。ざのさめないうちにくもんにみちたときをよろこびのときにかえてしまおう。かこのくのうをみらいのかんきにたかめよう。

と書いたことがある。彼はその強い意志で、たくさんの現実を動かしてきた。もちろんまだまだ彼の納得する状況にあるわけではない。しかし、彼は、間違いなく、これからも、「ちかにいた」数多くの存在を世の中に認めさせていくたたかいの先頭に立っていくことだろう。


2008年8月22日 10時29分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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