関わり合いの場から
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プロフィール
ニックネーム:柴田保之
性別:男
年齢:56歳
障害の重い子どもとの関わりあいと障害者青年学級のスタッフとしての活動を行っています。連絡先は yshibata@kokugakuin.ac.jp です。
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2013年02月07日(木)
旅立って行った若者のこと
高校3年生の4月から、4年近くおつきあいしてきた一人の若者が旅立っていきました。お兄さんと妹さんが一生懸命に選び出して用意された彼の好きだった音楽が静かに流れるご葬儀の中で、お父様は次のようなお話をされました。お父様は、この1年近く、会社にご無理を言って、家に仕事を持ち帰り、ずっと彼のそばにいらっしゃったそうです。それは、また、この1年の彼の状況が予断を許さないものだったことをも意味しています。お父さんのお話とは、このようなものでした。
朝、普通に目を覚ました後、妹さんが出かける時に声をかけた時に彼の呼吸が止まっていたそうです。しかし、その場におられたお父さんの蘇生術のおかげで、再び心臓は動き出し、救急車で病院に行ったのですが、病院で告げられたのは、呼吸の停止によって低酸素脳症を起こしているので、もう意識もなく、助かる見込みはないとの厳しい宣告だったそうです。しかし、体につながれた器機のアラーム音を通じて、確実に彼は返事を返していたとのことで、それはご家族には、疑う余地のない彼の声だったとのことです。
そして、その彼のいのちが本当に終わってしまう最期の瞬間に彼は両方の目から涙を逃したとのことでした。
もちろん、その涙の意味が何だったのか、私のようなものが簡単に推測することは許されるものではありません。ただ、彼が残した言葉の中にこのような文章がありました。東日本大震災のことにふれて書かれた文章の一節です。別の方が書いた「あしでまとい」になるということを私が話していたことに関して尋ねてきたものでした。
みんな地震のことは理解を超えた苦しみを感じたのでしょうね。さっき足手まといと言ったのはどういうことですか。僕も考えたことがありました。まさかみんなも考えていたとは思いませんでしたが全く同じ気持ちです。感謝の気持ちで津波にのまれます。そういう気持で生きていますから。僕たちのそういう気持まで理解してもらえてうれしいです。なかなかそこまで理解されることはありませんから。僕たちのわずかな望みはどこで敗れても常に感謝して倒れるという気持ちです。
「感謝の気持ちで津波にのまれます」「どこで敗れても常に感謝して倒れる」と書いていた彼の気持ちは、けっして生半可なものではなく、深い覚悟のもとに書かれていたものであると私は思っています。だから、私は、彼の最期の涙が、あまりにもすばらしいお父さんとお母さんと、お兄さんと妹さんに向けられた感謝の涙だったのだろうと思っています。
ご冥福を心からお祈りしています。
2013年2月7日 10時34分 |
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