魂と魂が対峙する光景
○○君の文章を綴る姿をぜひ見てみたいということで以前関わりの場にいらしてくださった先生に、学校へお招きを受けた。その学校は、彼が小学生の時代を過ごした学校である。お待ちいただいた先生の中には、すでの引退されていながら、○○君とは、ずっと関わりを持たれている著名な☆☆先生をはじめとして、幾人かの先生が待っておられた。
☆☆先生は、すでに故人となった私の先生と大学時代に同期であり、また、こちらも故人となられた私の大先輩の札幌の先生とも縁の深い先生である。この日、この場所に私がいることは、偶然でもあるし、また、そのつながりに導かれてということもあるかもしれない。本来なら、もっと以前に先生方の生前にお会いできていればとの思いも強かったが、やはり時は熟さなければならなかったのだろう。
○○君は、かつての先生方の前で、喜びに満ちた表情で綴り始めた。その表情は、大切な方々に自分のことをわかってもらえる喜びに満ちているように私には思えた。
☆☆せんせいしばたせんせいおあいできてうれしいです
かみさまのみちびきがあってきょうのひがおとずれたことをとてもかんしゃしています
くるしみのひびがきぼうのひびにかわってこのひびをしんじつのものとしてくぐりぬけていくことができます
すばらしいみらいがうつくしいえまきとしいかのようにひろがっています
きのうまでのくるしみはみんなうそのようにおわりとほうもないねがいとのぞみがせかいにみちあふれています
みらいもきっとすばらしいことでしょう
りかいしてもらえてほんとうにありがたいとおもいます
☆☆せんせいけんこうにはくれぐれもおきをつけください。
どのくらい時間が経過したのだろうか。彼は一気にこれだけの文章を書き終えた。「すばらしい未来が美しい絵巻と詩歌のように」という表現など、ただただ驚くばかりだったが、これも、彼が、この日に備えてじっくりと紡ぎ出した言葉にちがいない。
この後、☆☆先生が、いつものようにとおっしゃって、聖書の一節を彼に向かって、自然に語りかけた。彼は本物にしか耳を傾けないということで、小学生の時からこういう時間を作ってこられたとのことだ。その光景は、私の心を激しく揺さぶるものだった。先生は、彼が言葉を表現するずっと以前から、こんなふうにして、真っ正面から彼と対峙しておられたのだ。私は、ようやく、通訳者として子供にそばに立つことができるところまで来たにすぎず、とうてい対峙する域には達しえていないことが、自然に理解された。そう言えば、亡くなった私の先生は、よく「魂と魂の出会い」ということをおっしゃっていたが、その言葉が思い出された。
この日、☆☆先生がお選びになったのは、ご自身が病床にあった時、繰り返し読んだ一節だとのこと。「だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない。」「肉から生まれたものは肉である。霊から生まれたものは霊である。」というような人間の肉体と魂との関係についてのことが語られていった。☆☆先生の魂から発せられる言葉が、○○君の魂によって確実に受け止められていくという厳粛な光景。
今、私は、「通訳」に忙しい。それは私の目下の使命でもある。しかし、いつか私も、相手と本当に対峙することのできるところまでたどり着きたいと夢想した。
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2008年8月22日 16時59分
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