きっといつかこのことがやくにたつひがくるとおもって―数の独学
もっとむずかしいべんきょうがしたいと会うたびに言ってきた現在中3の○○君が、最近は、いろいろ教えてもらえるようになったと喜びを書く。
つかもうとしてもなかなかえられないきぼうがてにはいったみたいでほんとうにうれしいです。いいせんせいがいていっぱいおしえてくれます。いろいろがくしゅうをしてちしきがふえました。ねがいはうちでもくりかえしべんきょうをなんどもできるようになっていっぱいちしきがふえることです。
そばにいたお母さんは、私がやらないといけないのかしらとおっしゃると、次のように書く。
おかあさんはふたんになるからいいです。こじんてきにおしえてくれるかたをさがしてほしいです。
その後、夏休み明けの授業でやることをあらかじめ調べておきたいということを綴ったあと、話は、数学のことになった。「○○君が知っている数の計算で、自分で問題を作って答えが出せるものを自由に書いて」と頼むと、次ぎにような式と答えが書かれた。
254−253=1
2222÷2=1111
単に計算を知っているかどうかを越えて、計算の中で起こる数のおもしろさを楽しんでいるように思える計算だ。そうして、こう綴る。
いつもひとりでかんがえています。きっといつかこのことがやくにたつひがくるとおもっているから。しんじてくれるひとがいつかあらわれるとおもっていたから。くくもしっています。ねがいはくのだんのさきをしることです。いつもねがっていますむずかしいくよくよせずわかってくれるひととかずのべんきょうをすることを。こんどはぶんすうについておしえてください。すうがくはだいすきです。いっぱいおしえてもらいたいです。
文字だけでなく、意図的に教えられることなく学んでいること、そして、その動機がきちんと綴られている。全く体を動かすことができず過ごす時間の中で、教科書もなく、具体物もタイルやおはじきも使わず、どのようにして数を学んでいったのか、にわかには想像しにくいが、「いつかやくにたつひがくることを」夢見てひとりで学習したという姿は、学ぶことの原点をせつないまでに示してくれる。
彼には、いろいろなことを教えてくれる先生がついている。彼の学習への情熱がよりいっそう満たされていくことを祈るばかりだ。
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2008年8月24日 23時58分
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自主G23区2 |
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