ニックネーム:柴田保之
性別:男
年齢:56歳
障害の重い子どもとの関わりあいと障害者青年学級のスタッフとしての活動を行っています。連絡先は yshibata@kokugakuin.ac.jp です。

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2014年05月25日(日)
尊厳死法案をめぐって 5月24日 
 5月24日、最近国会で議論されている尊厳死法案について、3人の方が意見を述べました。

N.Hさん
 私たちは寝たきりで気持ちも自由に表現できませんが私たちにも尊厳があります。だから尊厳死法案はまちがっています。みんな人間としての尊厳ある生を生きていることを知ってください。私たちはみんなこの体に誇りを持って生きていると思いますからぜったいに尊厳死法案など作らないでください。

A.Kさん
 なぜ私は尊厳死法案に反対かというと僕たちの仲間が尊厳ある人生を生きていることを認めずにもうどうせ何もわからない人間だから生きる価値がないと考えるからです。僕のように体は丈夫なら尊厳死の対象にはなりにくいけれどぬいぐるみのように感じられていて尊厳ある生を生きているとは思われていないのだから結局僕も体が弱ったら尊厳死の対象になってこの世から抹殺されてしまうのです。僕たちはもっともっとわがままに主張しなければなりません。遠慮していたら殺されてしまいます。まだまだ私たちの言葉は受け入れられていませんが小さい道でも強い気持ちで切り開いてゆかなくてはいけません。みんな気持ちをしっかり持って生きているということを理解してもらうと同時に末期の人でも気持ちがしっかりあってただ伝えられないだけだということを理解することなしに法案を議論するのは根本的に間違っています。また人はけっして一人では生きていませんから尊厳ある生は一人のものではなく周りの人とともに作っていくものです。だから最後に意識が失われた瞬間でさえ尊厳ある生が存在しているのです。一人で極楽や天国に行くのではなくて周りの人の中で生き続けるのが死語の生だとするなら尊厳ある生は意識がなくなっても存続しているものです。

T.Oさん
 なぜ尊厳死法がおかしいかというと尊厳ある生には違いがないからです。違いはただまわりの利害だけを問題にする人にとってあるのみなのです。つらいのは恐怖を感じる仲間まで出てきていることです。理解はできていても伝える手段がないという時間を長い間過ごしてきた者として理解していないと思われることのつらさは筆舌に尽くしがたいものがあります。よい方法さえあれば僕たちはみんな普通に話すことができます。おそらく終末期にあって言葉が話せなくなっても人は意識があるはずです。そのこともまだよく確かめられていないはずです。なぜなら世の中はまだ僕らの存在にさえ目を向けていないのですから。

 今、生命観に大きな変化が起きようとしているように思えます。生まれる方では出生前診断、亡くなる方では、臓器移植法や尊厳死法案。
 こうした、コミュニケーションに困難をかかえる当事者の声を、しっかりと届けることが、この議論に一石を投じることになるはずなのですが、まだ、その石がその議論の渦中に届くことがむずかしい段階にあります。しかし、何とかして届けなければいけないと思っています。

2014年5月25日 22時51分 | 記事へ | コメント(0) |
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