ニックネーム:柴田保之
性別:男
年齢:56歳
障害の重い子どもとの関わりあいと障害者青年学級のスタッフとしての活動を行っています。連絡先は yshibata@kokugakuin.ac.jp です。

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2008年08月28日(木)
「せかくうまれてきた」「せんひさ」夏の終わりの病室から
 ☆☆さんと○○さんが暮らす病室をひと月半ぶりに訪れた。
 最初に関わったのは☆☆さん。だいぶ文字を綴れるようになってきて、今日は何を綴るのだろうという期待と、今回もきちんと彼女の気持ちを読み取れるのだろうかという不安とが交錯する。
 試行錯誤の末、たどり着いた方法は、次のようなものだ。まず、彼女の右手の甲を下から包み込むように支えて、親指にスイッチの棒状の取っ手を軽く引っかける。そして、最小限の力で棒を上下にスライドさせて行や文字を送っていき、彼女の選択の意志を手の甲に加わる微妙な力の変化で読み取る。この力の変化とは、まったく体が動かない☆☆さんが、腕全体で言えば開く方向に、手で言えば握った手を開く方向に力を入れようとして生まれる変化のように思われる。実際には、指がかすかに動いたような気がしたり、私と☆☆さんの手の触れる面にもわもわっとした感覚が生まれるというもの。わかりやすいときには確実に感じ取れるが、非常に微妙なものだ。私の手の添え方しだいでも変わる。
 一方、軽いけいれんのようにたえず動いている口元の返事をお母さんが読み取る。相変わらず私は読み取れないが、お母さんと先生は、普段はこれでたくさんコミュニケーションをしておられる。ただ、今回、口元の動きはむしろ減ったように見え、その理由が手に集中していることのように思われたのである。
 また、心拍数も重要な手がかりで、特に行の選択の方では、手で読み取った動きと心拍数の低下は一致することが多い。
 まず、二文字の名前を練習でうつ。この時は、まったく読み取れない。私自身の感覚が手のひらに集中できておらず、また手の支え方も安定していないからだが、この操作の間に、徐々に整えていく。
 最初のふた文字は「せか」。比較的スムーズに選ばれた。ところが3文字目で難航する。「せか」が正しければ、「せかい」「せかす」「せかされる」というような単語が推測される。推測は当然あくまで彼女をの意志を追い越してはいけないが、推測しておくと、その行を彼女が選択するかどうかにより集中できるため、読み取りの精度はあがる(ここが非常に誤解を生みやすいところだが)。そして、いったんア行が選択されたかのように見えた。ここが、注意のしどころで、私たちの「せかい」の推測はここでより強まる。しかし、ここで先を急ぐことがもっとも危険なところである。実際、ア行でいいのかと聞いても、口元のサインは、明確な答えを返してこない。この時、お母さんが、☆☆さんの目が泳ぐような動きをして、困っているようだとおっしゃった。いったい何を意味するのか。そこで、大胆な一つの仮説を立てた。彼女の選択の意思表示の力は、明確な一行を示すよりも、その前の一行目から加えられることも多い。ア行が選択されるように見えたのは、カ行の選択の場合だってある。そして、私は、「せっかく」と書きたいのではないかと考えたのだ。そのことは伝えず、もし、「せ」と「か」の間に小さい「つ」を入れたかったのだったら、あとでわかるのでそのまま書いてほしいと伝えた。すると、今度は、カ行ではっきりとした手の動きがあり、さらに「く」が選ばれた。私はひそかにやっぱりそうかと思ったが、あえて口にせずに関わりを続けた。
 そういうふうにしてできた今回の文章は次の通りだ。煩雑になるので省略するが、こうしたぎりぎりのやりとりの結果生まれたものである。

☆☆せかくうまれてきた すきなゆめ かのうに

 誰もが一度しかない人生を生きている。常識的な意味では彼女の夢をかなえることなどどうすれば可能なのかと頭を抱え込んでしまうところだ。しかし。彼女は語る。「ゆめ かのうに」と。限られた病室の空間の中で、どのような夢が思い描かれているのか。
 隣のベッドの○○君は、今日は、表情はそんなに悪くもないのだが、口の動きがとても悪い。動き始めた首も、呼吸に同調した動きで、選びたい行が来ても、なかなか動きを止めたり、動きを変化させたりすることができない。そんな中で、かろうじて唇の動きを入れて、選択を伝えてきた。しかし、綴られた文字は、4文字。「せんひさ」。これは、たぶん、「せんせいひさしぶり」を略したものと思われる。
 先生とは私のことではたぶんない。訪問のやさしくて若い男の先生だ。学期中は週3度ある授業が、8月は夏休み。久しぶりに訪れた先生へのメッセージだろう。たった4文字を伝えるだけでも、2度眠くなってしまって、なかなかうまく書けなかったが、彼が時々見せる不安な表情や訴えるようなまなざしは見られない。先生の訪問で9月からまた授業が始まることが実感されて、穏やかな気持ちになったのかもしれない。
 なお、☆☆さんの文章は、最初に伝えた。このことについての○○君の感想は聞けなかったが、隣のベッドの様子をずっとうかがっていた○○君。☆☆さんの文章をしっかりと聞いていた。
 たぶん、この言葉にこめられた思いを本当に理解できるのは、誰よりもまず○○君であるはずだからだ。
 猛暑が一転して早々と涼しい風が吹き始めたが、病室にはそうした季節の移ろいは、気温に関する限り伝わってはこない。しかし、秋は、先生達の訪問とともに始まる。今日の訪問は、夏の終わりを告げる訪問になったことだろう。
 ☆☆さんのゆめについて、秋、また、○○君もまじえて語り合えればと思う。

2008年8月28日 09時58分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 小児科病棟 |
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