「ぼくもいいたいことはたくさんあって」
○○君は、1年ほど前に初めて出会い、言葉を綴る力に気づいたお子さんだ。運動の問題については、体が動かないのではなく、周囲からはいたずらのようにして手が出てくると見られやすいところがある。しかも、絵カードの選択などもできるように見えることもあるが、できないことも多く、その力もはっきりしない。そして、笑顔もあるのだが、それが、こちらの問いに即応して生まれるものでもないので、コミュニケーションにも使いにくい。それから4度の関わりをもった。
文章がなめらかになったのは前回から。「ともだちがみんなことばがはなせることがわかってうれしかった ぼくたちはみんなりかいできていてなやみもたくさんもっています わかってもらいたいとこころからおもっています」と書いていた。
担任の先生もお母さんも何とか同じように関わりたいとがんばっていらっしゃって、先生とは最近だいぶパソコンで文字を綴れるようになり始めたところだ。そんなところから、話は始まった。
やさしいほうほうがほしいです
このほうほうはかんたんです
私の新しい方法、すなわち彼に力をできるだけ抜いてもらってこちらが手を添えて一緒に進めていき、彼がその動きを止めるというやり方で、そんなふうに書いた。
そして、お母さんにも一度代わってもらう。しかし、さすがにいきなりではうまくいかない。するとこう書いてきた。
あまりきにしすぎないでいいよ
くろうしなくてできるまでちゃんとまてるから
続いて、スイッチの方法については、多くの人たちと同様に「ふしぎ」と書いてきた。
ふしぎです てにちからがはいるまえからえらぶことがかんたんにできます
ねがいはだれとでもじがかけるようになることです
なめらかに綴れることがわかって、彼はこれまで胸に秘めてきた思いを一気に表現することを思いつく。
ぼくもいいたいことはたくさんあってかあさんにはいつまでもげんきでいてほしいのです
とうさんにもげんきでながいきをしてほしいです
これまでそだててくれてかんしゃしています
もっとからだがつかえたらいろいろなことができてかあさんにせわをかけなくてすむのだけどせわをかけてばかりでごめんなさい
かあさんこれからもくろうをかけるけどよろしくおねがいします
多くの子どもたちが等しくいだいてきた親への思いを、○○君も表現した。終始笑顔を浮かべながら、時おり手をひっこめてしばらく考えた後おもむろに手が伸びてくる姿が印象的だった。
子どもたちはみんな両親の苦労をいちばん近くで見つめてきた。おそらく母たちは、目の前の子どもがすべての言葉に聞き耳を立てているとは思わずに、独り言のように様々な思いを語ってきたはず。そしてその中には、いつわりのない愛情に満ちた言葉もあったことだろう。
そんな緊密な関係の中で醸成されてきた思いに、表現の形が与えられるとき、こういう言葉としてはとしてほとばしり出てくるのだろう。
思いを表現し終わった○○君の文章は、こう結ばれた。
くたびれました
全身に思いをこめて文字を綴ってきた○○君、最後はもうくたくたになっていた。
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2008年8月31日 18時19分
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自主G多摩3 |
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