ニックネーム:柴田保之
性別:男
年齢:56歳
障害の重い子どもとの関わりあいと障害者青年学級のスタッフとしての活動を行っています。連絡先は yshibata@kokugakuin.ac.jp です。

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2008年09月16日(火)
静岡の少年の思い
 1年ぶりに静岡県に住む少年のもとを訪れた。彼は今年中学3年生。初めてうかがったのは彼が小学4年生の時だった。今回は、やり方を変えたこともあって、全文で1400字ほどに及ぶ長い文章となった。その方法とは、こちらが行や列を進めるスイッチをリズミカルにオンーオフしていく中で、本人の力でオフの動きが遮られることで選択の意志を読み取るという方法である。その文章ので中心的に語られたことは、3つで、まず、体が大きくなってご両親に迷惑をかけていることをめぐる思い、二つ目は、将来のこと、三つめは友だちのことである。それぞれのテーマに沿って整理すると次のようになる。
◆体のこと
 前回もこのことに触れていたが、今回は、こんな文章が並ぶ。そして感謝の言葉もたくさん述べられた。ここに掲げたのはその一部だ。

さくねんおあいしてからいろいろなことがありましてえがおがへりました
かるかったからだがおもくなってせがのびてとにかくせわがたいへんになりました
ふたんばかりかけてわるいからとてももうしわけないとおもっています
なみたいていのことではつとまらないとおもいますぼくのせわは
おかあさんやおとうさんいつもありがとう
ねがいはいつまでもながいきしてもらうことです
きもちをつたえられてよかった
きっといつかかなえたいことがあります
これまでのじんせいにこれまでぼくがしてもらったことにたいしておかえしをすることをなんとかしてしとげたいとおもいます

◆将来のこと
 自分の体が大きくなっていくことは、大人になっていくことである。将来については、次のように語られた。

じぶんだけではなくねえさんたちにもしあわせになってほしいからぼくはどこかのしせつでくらします
たくさんかんしゃしています
おかあさんとおとうさんがきにかけていることにたいするぼくのいけんです
しらないひととくらしていくのはふあんだけどどうにかなるとおもいます
ずるいかんがえかもしれないけどがっこうをそつぎょうするまでにどうにかなればいいとおもいます
すくなくてもしんじてくれるひとたちのあいだでいきていけたらいいようにおもいます
ねえさんたちにもはやくけっこんしてもらいたいとおもう
ぼくのことはしんぱいしないでいいから

 二人の姉の結婚のことは二年前にも語られたものだ。彼は、優しい二人の姉が、自分のことで結婚が遅れたりしたら大変なことだと心から心配している。
卒業後の進路については、ご両親は、もっともっと手元で育てるご方針で、まずは、通所する場所を何とかしようと努力されているとのことだ。それでも彼は彼として、こういう覚悟はあるということを伝えたのであろう。ただ、どこかあきらめた響きがあることが寂しい。大人になるということは、もっともっと夢に満ちたことなのではないだろうか。私がその夢を語り合う存在となりえていないことがもどかしい。

◆ともだちのこと
 話は「なぜぼくはりかいしてもらえないのだろうか よくことばがわかっているのにことばをしんじてください」という言葉から一気に友達の事へと展開した。こんなにも言葉を操れる人間であることが、実は学校などには理解されていないようだ。そのことのはがゆさを述べようとして、おそらく彼は、全く表現する機会を持ち得ていない仲間のことに思いが及んだのだろう。自分のことはそこそこに、友達のことが綴られる。

ともだちもみんなりかいしているのになかなかわかってもらえないでいます
はやくみんなにもおしえてあげたいとおもいます
なんとかなりませんか
なんとかしてこのすいっちそうそ(操作)をおしえてあげたいみんなとはなしがしたいとおもいます
たくさんいます でもみんなはなしができません きいてもらえるとうれしいです

そして、友達が言葉を理解していることはよくわかるんだねと問いかけると

よくわかります でもことばではなしたいです どうにかならないですか

と返ってきた。土曜日に埼玉で交わされたやりとりと同じだった。考えてみればきわめて当たり前のこと。権利が平等に保障されていないのだから、この事態が実に理不尽な状態であることは論を待たない。それでも。今はまだ決定的な解決法を私は持ち得ていないのだ。
 そんな友達とも出会える可能性をご両親と相談しながら、この場では、スイッチ操作をご両親にも練習していただいて、誰にでも出来るようになれば友達も出来るようになるのではなかと提案し、練習してもらった。以前のほ方法ではむずかしかったが今回の方法ではかなり手応えが得られた。こんなところから突破口が得られたらと、思った。
 最後に彼は、今回の方法について感想を述べてくれた。

ふしぎです かんがえただけでことばになっていきます

そこで、考えたけど書きたくはなかったことまで言葉になったということはないかと尋ねると

だいじょうぶです じぶんでやっているきがしない

自分がやっている気がしないということで気味が悪いということはないかと尋ねると

すばらしいです ふしぎですがひとりでやっているかんじです
てがつかえないとおもってきたけどつかえてうれしいです

というように答えてくれた。自分でやっている気がしないけれども、一人でやっている感じがするという感想は、私には心強かった。
 そして、最後の最後に、彼はこう付け加えることを忘れなかった。

ともだちのことをまたよろしくおねがいします



2008年9月16日 22時47分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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