秋の初めの小児科病棟にて
○○君と☆☆さんが待つ小児科病棟を訪問した。
☆☆さんは、上を向いて開いた私の手のひらの上に☆☆さんの手のひらを重ねるようにして、その親指に軽くひっかけたスイッチを動かしながら、選択の場所に来たら、☆☆さんの親指と手の甲にわずかにこもる力を、私が手のひらで感じ取ることによって選択を読み取っているが、いつものお母さんによる口の読み取りや訪問学級の先生による心拍数の読み取りは、より補助的なものにして、できるだけ手で読み取ろうとした。間に◇◇君との学習をはさむが、2時間近い時間をかけて、つぎのような文ができた。
すばらしいゆめをみてるような
きもちをじでいえました
続けて一文として読むのか、このように区切りを入れるのかはわからないが、とりあえず、このように表現した。前半が「じ」までで、後半がそれ以降である。
訪問の先生は、前回の文章とつながっているのではとおっしゃった。前回は、「せかく(せっかく)うまれてきたすきなゆめかのうに」だったから、気持ちを字で言うことが夢だったかもしれない。
手のひらにじわっと暖かいような感じがわくというふうに表現した方がいいくらいの感覚を拾うのだが、確実に、選択していない時としている時との対比ははっきりしてきた。関わりのたびに☆☆さんの文章のストックが一文ずつ増えていく中で、少しずつ、☆☆さんらしさが、かたちを取り始めている。
○○君は、ここのところ、少し口の動きが悪かったので、読み取りがむずかしかった。今回も、薬の関係で、動きは少し悪いかもしれないとのお話を主治医の先生から事前にうかがっていた。
呼吸に関わる処置を頻繁にはさみながらなので、スムーズに進んだわけではないが、いったんリズムにのると、久しぶりに、明確な選択の意志が伝わってきた。
そして、できた文章。
よどおしねられなくて はゃぬてえ よわくして むり
「はゃぬてえ」という不思議な文字が挟まった文だ。彼は、医療機器や薬の名などを書く時、なかなかうまく書けないことが多い。それは複雑なカタカナの言葉だから当然なのだが、それでも何とか、文字を選んでくる。今回も、何か、そういう言葉を言いたいのだろうということははっきりしていたが、もちろん何のことか私にはわからない。
「むり」については、「むり?」というニュアンスなのかと尋ねると、「そうだ」という合図の口を動かした。
彼は、いのちと向き合ってこの病棟で生きている。一つ一つの医療的な処置は、そういう意味合いを持ったものだ。そういうことをわかった上で「むり?」と聞いているにちがいない。
程なくして、主治医の先生が現れた。文章を報告すると、さっそく、いろいろと彼に問いかけを始められた。やはり、呼吸にまつわる処置のことらしい。そして、先生の問いかけは、さらに、細かな調整の問題へと移っていく。私には、とてもわからない細かな調整だが、彼は、懸命にそれに答えようとする。前にも書いたが、このやりとりは、彼を大人の患者さんのようにきちんと向かい合うやりとりで、主治医の先生の彼への思いがどれだけ深いものであるかを語っている。
私のつたない聞き取りが、彼の生活に直結していくことに、ある厳粛な思いを感じずにはいられない。
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2008年9月17日 00時23分
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小児科病棟 |
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