そらのようにすみわたるこころでいきていく
人間としての当然の権利と書いた男性の文章の中で触れられていた☆☆さんの文章を紹介したい。
前回6月に文章を書いてもらったとき、その場で手紙を書いて連絡帳にはさんでもらった。さっそく、お母様からごていねいなメールをいただき、次回はぜひ一緒に、ということで、3ヶ月も経ってしまったが、ようやくその日を迎えることができた。ご両親の見守る中で、さっそく文章が綴られる。前回の書き出しが「くやしいですきもちをおかあさんにつたえることができなくりかいしてもらえないです。」だったから、3ヶ月で状況が変わったことがわかる。ただし、「りかいしてもらえない」というのはあくまで文章を綴る力を秘めていたことである。
りかいしてもらえてうれしいです
てがつかえてわたしはそれもうれしいです
もっといろいろなことをはなしたいです
ぬいぐるみのようないきかたはしたくありません
ずっとかんじてきました
ねがいはつよいきもちでなんでもやることです
すぎたことはもどってこないからしかたないけれどみらいにむかってきぼうをもっていきていきたい
らくにできてうれしい
あまりにも多くの同じ境遇にある仲間たちと相通じる思いが、同じ言葉で語られている。感覚がマヒしてしまいそうな自分がこわいくらいだ。理解されること、手が使えることの喜び、ぬいぐるみという比喩、そして過去を食い入るのではなく未来に向かう強い意志…。
そしてさらに次のような美しい言葉に高まっていく。
のぞみはそらのようにすみわたるこころでいきていくことです
のぞみどおりのいきかたはむずかしいかもしれないけれどこどものようにきよらかなきもちでいきていきたい
このように高まった表現を一度自ら鎮めるように次のような言葉が続く。
はずかしいけれどくるしいときはなきたくなります
すてきなひとがすくいにやってこないかとおもいます
そして、目の前のご両親に向けられた次の言葉で、一段落した。
くるしいときはおかあさんとおとうさんがたよりです
これからもよろしくおねがいします
この後、見えないと言われていた目が見えていること、そのことがわかってもらえずくやしかったこと、姿勢のこと、寝る前に決まって手をかりかり動かして遊んでいるのは手が勝手に動くことなど、日常生活の様々なことを話し合った。
そして、もう一度切実な思いが綴られる。
なかなかわかってもらえずいつもくやしかったです
つらいのはがまんできますが
さびしいのはがまんできません
けっこうまいにちたのしくやっているけれどきもちがつたわらないとさびしいです
ねがいはみんなにりかいしてもらうことです
つらさはがまんできてもさびしさはがまんできないという言葉をもう一度かみしめながら、彼女の願いがかなう日に向かってがんばりたいと思う。ただ、もう、彼女は一人ではない。みんなで、つながりあって今を変えていきたいと思う。
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2008年9月23日 01時10分
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