四国のある町で
四国へ日帰りで出かけた。ある30代の女性に会うためだ。すでに数年前にお母さんを亡くし、現在、施設で生活をしている方だ。お母さんの生前は、ほとんど、まかせっきりだったというお父さんが現在は、頻繁に施設に通っておられる。お父さんと昼食をご一緒しながら、たくさんのこれまでのドラマをうかがった。とりわけ胸をうたれたのは、お母さんが亡くなる直前に、二首の短歌を残したということで、夫と娘を残していくことの無念さを歌った一首と、実の父母に先立つことをわびた一首だった。
施設について、彼女の居室で関わりをもった。たくさん教材を用意していたわけではないので、まず、「氷川きよし」が好きだというお話を受けて、さっそくパソコンを開き、スイッチ入力で「きよしのズンドコ節」の音楽と彼の顔写真が出てくるソフトを出した。すぐに満面の笑みに出会うことができたが、そのあとの曲の選択に苦労した。
悲しい歌は泣きそうになって、テレビだったらチャンネルを替えようとするともうかがっていたのだが、「なだそうそう」を出してみると、たちどころに悲しくしかもつらそうな顔になる。これはすぐにひっこめた。これまでの経験でけっこう好まれていたしっとりとした歌、たとえば「川の流れのように」「大きな古時計」「贈る言葉」なども悲しそうになるし、「水戸黄門のテーマ」も、ペギー葉山によるしっとりとした「ドレミの歌」も同様だった。そんな中で好まれた歌が「100%勇気」「世界に一つだけの花」「サザエさん」。本当に力強い歌だけが笑顔を呼んだ。
こうしたソフトを通してスイッチ操作に慣れてもらったので、曲名の一部や歌手名を2スイッチワープロで、一緒に書いてもらった。選択の手応えはない。ただスイッチを近づけると手が伸びてくること、手が離れないことが頼りだ。「ゆうき」「せかいに」「きよし」などを一緒に書き音楽をかけ、また名前も一緒に書いたりした。
もっと他に、彼女が好きな曲はないかと、あれこれ考えていると、同行した方が「365歩のマーチはどう?」とおっしゃった。幸いにも、パソコンに入っている。そこでさっそくソフトを出すと、流れ始めたとたんににこっとして、身を乗り出し、じっと画面を見ながら聞き入っている。その様子がこの歌を聞くのが初めてのような印象を与えた。
こうしたやりとりが、しだいに、彼女の感受性の豊かさを伝えてくる。私は、決してワープロにこだわっているわけではないが、ここで、一緒に言葉を綴ることにした。自分の名前を書いたが、あまり反応が芳しくないので、名前に続けて「おとうさん」と一緒に書いて、さらに、「だいすきと続けようか」と提案し。「○○○おとうさんだいすき」という言葉を書いた。すると、どのタイミングだったか、すぐ後ろにいた父を振り返り、すっと手が伸びたのである。とてもすてきな光景だった。
そして、「おとうさん」という言葉がよく分かっていますねという周りの声に、「わかっていなくてもいいぞ」とすかさずおっしゃったお父さんの言葉がずしんと響いた。私はわざわざ東京から彼女の言葉の有無を確かめにきたわけではない、ありのままの彼女と出会ために来たのだと言うことの再確認を迫る一言でもあった。
それでも、続けてにいちゃんと書こうと提案して続く言葉をいろいろ挙げてみた。これは、本当に印象に過ぎないが、「にいちゃんあいたい」に反応があったような気がしたので、そう書いた。
そして、その場に同行してくれていた「おばちゃん」と書くことを提案したが、続く言葉は、いろいろあげたがなかなか納得を得られなかった。
こうしたやりとりの中で、いつもなら当たり前のように書いてきた一つの言葉が使えないことの意味がしだいに重みを帯びて迫ってきた。それは「おかあさん」という言葉である。
彼女にとって、母親の死は、どのように感じられているのだろうか。母への深い追慕の思いは、はっきりとは表現されることなく、彼女の胸の中で静かにあるいは激しく渦を巻いているのではないか。
私がこれまで出会ったどの方よりも悲しい調べやしっとりした響きに、繊細な反応を示してきた方である。もしかしたら、その感性は、母への思いと固く結びついているのかもしれない、そんな思いがしだいに強まっていくのを感じながら、飛行機の時間にせかされるようにして彼女に別れを告げた。
日本列島全体が、一夜にして秋空に変わったすがすがしい一日の終わり、空港で車を降りて振り返るとまさに太陽が、沈んでいく瞬間だった。長い滞在を終えたような錯覚を覚えながら、飛行機に乗り込んだ。
|
2008年9月27日 21時32分
|
記事へ |
コメント(0) |
トラックバック(0) |
|
他の地域 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/yshibata1958/trackback/74/