ニックネーム:柴田保之
性別:男
年齢:56歳
障害の重い子どもとの関わりあいと障害者青年学級のスタッフとしての活動を行っています。連絡先は yshibata@kokugakuin.ac.jp です。

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2008年10月17日(金)
言葉が研ぎ澄まされてくるのは当たり前のことなのです
 以前、「美しい諦念」という言葉を語った中学生の少年は、こんなことを語った。今回は、漢字まじりの文章として紹介することにする。

「幸せが希有なのでこの世界ではまちがって受け止められていてせっかくの言葉が言葉として効能書きのように受け止められてしまい残念です。せめて言葉がどうやって書かれたのか知ってもらえたらいいと思う。
 元気な子どもは言葉を知ってからずっとしゃべり続けてきたけれど僕たちはけっして何もするわけでもなくただじっと言葉だけを使って生きてきた。しかも一度もその言葉を誰にも話さずに生きてきたので、ノンフィクションのドラマのような世界を過ごしてきた。だから、言葉が研ぎ澄まされてくるのは当たり前のことなのです。いちばん素晴らしいのは芸術家のようにたくさんの人に感動を与えることです。もっと自分のことをちゃんと理解していろいろな人たちにちゃんと伝えられるようになりたいと思う。でも自分の足で神様の言葉を確かめることができればいいと思っています。すばらしいのは、つらくても言葉があることです。言葉があれば話すことができなくても理解してくれればずいぶんと楽です。気持ちは伝えられなくてもたくさんの気持ちの入っている言葉を伝えてくれればそれを考えて一日を過ごすことができます。言葉こそ、ぼくたちにとって必要なものなのです。」

 小学校時代、聖書の言葉を聞くのをことのほか喜んだという彼は、まさに、こうして一つ一つの言葉をかみしめながら生きてきたのである。
 そして、彼は、次のような希望を語った。

「提案があります。この文章を手紙にして本を出している会社に送ってもらえませんか。発表したいですが、何とかなりませんか。」

 そして、さらに、スイッチ操作については、次のようにつけくわえた。

「スイッチが軽くて不思議です。もっととてもゆっくりだったのにどうしたのですか。言葉の速さに近づくので楽です。もっと速くても大丈夫です。」

 

2008年10月17日 10時05分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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