ニックネーム:柴田保之
性別:男
年齢:56歳
障害の重い子どもとの関わりあいと障害者青年学級のスタッフとしての活動を行っています。連絡先は yshibata@kokugakuin.ac.jp です。

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2008年05月24日(土)
金曜日のできごとその2
 △△さんは、小2で出会って、この3月に学校を卒業し、地域の通所施設に通い始めた。出会ったときから、このグループではただ一人、コミュニケーションがスムーズにいくお子さんだった。輪郭線の絵など、いわゆる空間的な認知と呼ばれる領域が苦手で、一方でややぼけた犬の写真を見た瞬間に「犬に決まってる」と答えるように、質感はしっかりととらえていた。線図形の空間的な関係をすばやい眼球運動によって処理すべきところが、脳性麻痺のハンディが目にも及んでいるために、なかなかうまくいかないという仮説を私は持っているが、こういう視覚的な特徴を持っているとひらがなはとても難しいものとなる。それでも、様々な学習を通して、徐々に文字や数の学習は進んでいった。中学部に入って、書道の時間に先生が手を添えてひらがなを書く学習を始めて、新しい発見があった。それは、視覚的な弁別には困難があるにもかかわらず、ひらがなを書く手の動きはどんどん正確になっていくということだった。
 そして、高等部の2年の秋、文字を綴る手段として、もっと運動障害の重い仲間たちが使っているパソコンの2スイッチワープロに挑戦してみることにした。しゃべることができ、手を添えれば文字も書くことができるという状況で、あえてそのソフトに挑戦してみることの意味をどう考えたらいいのか、はっきりとした説明はつかなかったが、しだいに驚くような文章があふれだしてきたのだ。彼女の文字の選択の方法は、もっぱら耳によっている。昔から耳がいいとは言われていたが、みごとに聴覚だけで文字を次々と選び出していった。しかも、驚くべきことに、文章とは必ずしも一致しないことをしゃべりながら、文字を選んでいくのであった。
 最初に決意がこめられた文章は、2年の3月。「△△3ねんせいになる」、そして「×××のいえ(作業所の名前)いくじっしゅうー」「×××のいえにいきました。こあのはこづめがたいへんでした。そつぎょうしたらさびしくてかなしい。なつどうやってすごすかな。おおちざわにきゃんぷにいく。」と職場実習の話から少しずつ文章が長くなり始めた。そして、11月は一気に長文へ。

そつぎょうをしたらたくさんきぶんいいことをしえんしてもらう。
(中略)ふつうのがっこうにいきたかったけどしかたがない
すこしぐらいきぼうをきいてほしいとおもいます
りっぱなおとなになりたい
けっこんをしてみたいとおもいます

 私たちの知らないところで彼女はもう立派な大人になっていた。次は1月の文章だ。

そつぎょうしきのれんしゅうがやっとできるようになりました。あっというまでした。おんがくをきいているとなみだがとめどもなくながれてきます。わすれられないたくさんのおもいでがよみがえってきていのりをささげたくなります。
ねがいはたくさんありますがさみしいとおもうのはこの○○○にはさぎょうしょがすくないことです。もっとたくさんかよえるばしょがあったらえらぶことができるのに。
なにをりそうにしていきていけばいいのかわからないけどりそうをみうしなわないでがんばっていきたいとおもいます。まえにむかっていっぱいむねをはっていきたいとおもいます。

以下、その後の文章。

そつぎょうしきがちかずきししゅんきのとしもおしまいになるのがかなしい。ふしぎなかきもちがわたしをおそう。
ひのあたるなみきみちをあるいていこう。もしかしてつかれてしまってたちどまることもあるかもしれないけどともにあるくなかまがいるかぎりまえにむかっていきてゆこう。わたしがしんじていくゆめはむずかしいけれどたたかいつずけきもちがつずくかぎりがんばりたい。
○○○くんそつぎょうしたらようごでがんばってね。わたしはりんとしたきもちで×××のいえでがんばります。めざすさきだけをみつめていきたいとおもいます。(後略)(2月)


わたしはそつぎょうしきがおわってからまいにちいえにいてしゃしんをみています。めをさますとがっこうにいかなくていいのがふしぎとおもいます。×××のいえにいきます。にゅうしょしきはよっかです。もくひょうはとおいけれどもよくばらないでがんばりたいとおもいます。ふまんはないけれどのぞみはむずかしいことをしたいです。てをつかってまたひょうげんしたいとおもっています。わたしもやっとおとなのなかまいりができます。わたしがうまれてからにじゅうねんちかくになるけれどじぶんしかできないことをやったことがないのでやってみたい。(3月)

げんきにかよっています。(中略)
ゆめがありますけっこんができるといいなとおもいます。ひとりでせいかつできるようになりたい。ひとりでわかなわないことかもしれないけどにほんぢゅうをたびしたい。なかなかかのうせいをひろげることはむずかしいけどみらいにむかってがんばっていこう。わたしのりかいしゃがほしいでもみつけるのがたいへんでなやんでいます。どうしたらりかいしゃはみつかるのでしょうか。ふまんはないけどわかってくれるひとがほしい。てのふじゆうなわたしでもできることがあるとおもうのでそれをみつけたいです。みつかるまであきらめない。いつのひかみつかることをゆめみながらがんばっていこう。(4月)

 昨日の文章は、はじめ別のことを話した後で、次の文章が綴られた。

(前略)てをつかえなくてもけっこんすることができるかしんぱいです。けっこんすることができたらうれしい。よくわかってくれるひとがいればけっこんしたいとおもいます。わたしになにができるかわからないけれどほんとうのしあわせにむかってがんばりたいとおもいます。ふべんだなとはおもうけれどとてもしあわせです。ふしぎですべつにふこうではないのにふつうのひとたちはこんなわたしをわらったりしてばかにしたりします。わたしはもっとがんばっていきようとかんがえています。りそうしかいえないよのなかのやくにたたいとおもっています。

 大人としての彼女の思いに私たちは、どれだけ寄り添っていけるのだろうか。私たちの無力さとは別に、自分自身の人生をみずから切り開いていくであろう彼女の姿が、今、目の前にある。

2008年5月24日 08時39分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 自主G多摩1 |
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