青年学級のできごと 退院したE.Kさんと居酒屋のF.Kさん
青年学級で7月に初めて文章を綴ったE.Kさんは、9月から長期の検査入院で学級を休んでいた。母親を進行性の難病ALSで亡くし、自らも、進行性の障害で、かつては歩くことも話すことも書くこともできたのに、いつか、車いすの生活となり、言葉さえ失ったとされていた。彼女の検査入院は、こうした状況におそらく関係があるのだろう。そして、残念ながら、病院は、彼女には言葉がそっくりそのまま残っていることを知らない。
朝、E.Kさんに、今日も一緒にパソコンやろうと言っていたのだが、コースが違うので、なかなか彼女のコースに行く暇がない。3時を過ぎた頃、彼女のコースのスタッフからお呼びがかかった。彼女の文章は、次の通りだった。
ずっとまっていました
そしてしばたさんにあいたかった
ずっとさびしかったです
のぞいてくれてありがとう
ねがっていました
ふたたびはなせることを
よかったまたあえて
ふたたびはなしができてうれしい
ねがいはだれとでもできるようになることです
ねがいはなやみをみんなにきいてもらうことです
ずっとひとりでびょういんにいてさびしかったです
なにもできずなにもみとめられずつらいまいにちでした
のぞんでもきいてはもらえないし
よるもねられませんでした
なんにもりかいしてもらえず
なんにもねがえずみじめなまいにちでした
はやくみんなにあいたいとおもっていたので
しんぼうすることができました
ふしあわせだとはおもわないですが
つらかったです
ながかったです
ねがいはてでみんなとはなしができるようになることです
まいにちのぞんでいました
がっきゅうのなかまとあえることを
ことばをつかえるなんておもわなかったから
しんじられないきもちです
ねがいはだれとでもできるようになることです
言葉がわかっていることを理解されずに、病院で過ごした時間のつらさと、その時、彼女を支えた仲間の存在。胸がふさがれるような思いがした。
彼女のコースには、もう一人、9月になってパソコンで文章を書いたF.Kさんがいる。E.Kさんが文章を綴るのを見守っていたが、時間になったので、ホールの帰りの集いの歌声の中で、次のように綴った。
ねがってました
ふたりではなしたかったです
ふたりのはなしがしたかったです
E.Kさんとはなしたかったです
にゅういんをしていたとはしりませんでした
ずっとかえりたかったのですね
ふたりでこれからもずっとかたりあいましょう
ねがいはふたりでてをつかってはなすことです
すいっちをみんなもできるようになってもらってみんなとはなしたい
それがねがいです
どんなにじかんがかかってもいいからがんばってください
わたしもがんばります
しんじてもらえてうれしいです
(よくこんな騒がしいところでできますね。)
めをつかっているのでだいじょうぶです
(今日もトマトハウスは行きますか。)
いきたいです
そのあともいきたいです
とまとはうすだけではつまらないからのみにもいきたい
ここで、お迎えに来られていたお母さんとお話をし、発作の薬の関係でアルコールはだめだけどという条件で交渉が成立。2時間後、彼女は、居酒屋にいた。おそらく、仲間とこのような場所に来るのは、生まれて初めてのことではないだろうか。以下は、そこで書いた言葉だ。
かかし(居酒屋の名)にこれてうれしい
でものめなくてざんねんです
とりのにくがたべたいです
まえからたべたいとおもっていました
ふだんからたべたいとおもっていました
もしよかったらみんなでたべましょう
のみたいけどだめですか
りそうはふだんからほんとうのきもちをつたえられるようになることです
彼女が「とりのにく」と呼んでいるのは、もちろん焼き鳥のことだ。うちでお母さんが作ってくれるチキンの料理とはひと味違う居酒屋の焼き鳥の味を、彼女は、この夜、しっかり堪能できたにちがいない。
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2008年11月6日 17時22分
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