ニックネーム:柴田保之
性別:男
年齢:56歳
障害の重い子どもとの関わりあいと障害者青年学級のスタッフとしての活動を行っています。連絡先は yshibata@kokugakuin.ac.jp です。

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2013年03月08日(金)
美優さんの大学進学
 熊本からとても素晴らしいニュースが飛び込んできました。それは、手を添えられて相手の手のひらに文字を書く方法でコミュニケーションをしている熊本の柴田美優さんが、九州ルーテル学院大学に入学するというニュースです。

 ご本人とご家族のたいへんなご努力と、周囲の息の長い援助とが実を結んだ成果です。これからの美優さんが世の中に与えてくれるものに心から期待しています。
 記事にある作文の入賞作品は以下の通りです。


       手のひらで伝わる心
(心の輪を広げる体験作文:平成24年度高校・一般部門最優秀賞)
      柴田美優(熊本県・熊本県立松橋支援学校高等部3年)

 私は小さいころ病気になりました。その結果、指の先しか自由に動かすことができなくなりました。言葉もしゃべることができなくなりました。小さいころは、手を伸ばして周りにある物を触ったりしてみました。自分でできることは少しでもやってみようと思っていました。言葉はしゃべれなくても、私の表情や声で気持ちが伝わることもあったので、あまり悲しいとは思わなかったことを覚えています。
しかし、少しずつ大きくなるにしたがって自分の気持ちをありのままに伝えたくても、表情とかだけではうまく伝わらないことが増えてきました。私は周りにあるいろいろな物を見て、感じたことを伝えるために言葉がほしいと思うようになりました。特に体調が悪いときや筋緊張が強い時は、きつくて表情に出すことも難しい時がありました。一人では何もできない自分が悔しいと思うようになりました。周りの人が私を見て「何もできないんだ」と思っていることがいやでした。知らない人が私を見て「かわいそう」と思っているのが伝わってきました。私は「かわいそうじゃない」と必死で思っていました。 私は一人でできることは少ないけど、周りの人から「何もできない、かわいそう…」と思われるのはとてもいやでした。
四歳くらいのとき、母が泣いていたのを覚えています。母は私に「みんな美優のことをかわいそうだと思っている。でもそうじゃない。いつかきっとできることがみつかるはず。お母さんが絶対美優のことを幸せにしてみせるから、一緒に頑張ろう。」と言いました。だから私は今まで辛いことがあっても乗り越えられたと思っています。
私は松橋養護学校の小学部に入学しました。入学する前は、母が私に絵カードや絵本を毎日見せてひらがなや数のことをたくさん教えてくれていました。絵本も毎日読んでくれました。私はわずかに動く人差し指で、一人で覚えたひらがなを宙に書いていました。頭の中でひらがなや数を覚えていました。でも、まだ誰も私がひらがなが書けるということを知りませんでした。
小学部二年生の時に、初めてパソコンを使って「たこやきたべたい」と、文字を綴りました。それまで一人で指先で書いていた文字を、初めて周りに言葉で伝えた瞬間でした。私にとって記念すべき日になりました。自分の思いが周りの人に伝えられるという、普通の人にとっては当たり前のことが、私には新鮮でした。私が文字を理解していることがわかった先生は、パソコンではなく私の手を取って、一緒に文字を書いてくれました。私はそれまでたまっていた母への思いを吹き出すように詩に書きました。詩を書くと、自分の気持ちが周りに伝わるのがわかりました。そして私の気持ちが伝わったとき、みんなは喜んでくれました。私の詩でみんなが喜んでくれた時すごくうれしかったのを覚えています。
私を抱っこして支えてもらい、その人の手のひらに文字を書くようになり、いろいろな人と話ができるようになりました。でも私と文字を書くことはとても難しいです。慣れない人に抱っこされると筋緊張が入り、読み取る人はとても大変だと思います。できるだけ支えてくれている人に伝わるような言葉で伝えるようにしています。でも、何回も手に書いても伝わらないときはとても悔しいです。しかし、支えてくれている人の手に文字を書いているとその人の気持ちが伝わってくることもよくあります。手に書いた文字が全部は伝わらなくても、その人が私のことをわかろうとしてくれているかどうかは、身体を通して、指先を通して感じることができます。言葉が声に出なくても、私の文字を手のひらに書いてもらって、その人の気持ちが伝わってくるから、私は今の自分が好きです。これまで苦しい思いや辛い思いをしたこともたくさんあったけれど、私を見ていてくれる人がたくさんいるということを、手のひらに文字を書くことで知ることができました。
私は高等部の三年生になりました。今は大学進学に向けて勉強を頑張っています。先日大学のインターンシップに四日間参加することができました。ある先生の講義の中で、リフレーミングの演習がありました。「自分の中で嫌いなところは」という問いに、私は、「自分でしゃべったり書いたりできないところ」と書きました。それに対して同じ班になった学生の方が「周りの人と協力してしゃべったり書いたりできるのはすごい」とリフレーミングで返してくれました。私は、いろいろな物の考え方を知りうれしくなりました。
もし、大学に入学できたら心理学や福祉、そして、障がいについて勉強したいと思っています。友達をたくさん作りたいと思っています。たくさんの学生に、ありのままの私のことを知ってもらいたいです。いろいろな話をして、私が今まで聞けなかった話などをたくさんしたいです。そして、友達とつながっていろいろなことを体験したいと思っています。
こんな私が大学に行くことで、もっともっと、障がいのある人が当たり前に大学のキャンパスに集い、学ぶ機会を得て、社会参加できるような社会になるといいなと考えています。夢は思うだけでは叶わない。挑戦しないとただの夢…。
2013年3月8日 06時47分 | 記事へ | コメント(0) |
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意識障害と言われる方々も手を添えれば字が書けること
 遷延性意識障害と呼ばれる状況にある人に昨年の秋以降、お会いする機会が増えて来ました。これは、やはり、山元加津子先生と宮田俊也さんにお会いしたおかげです。
そして、今、たいへんなできごとに出会っています。それは、みなさん手を添えれば文字が書けるという事実です。私は、パソコンとスイッチを使って相手の小さな合図を読みとることによる方法に習熟しているので、そうした場面では必ずその方法を試みてきました。そして、幸い、医学的診断の内容にもかかわらず、その方々の言葉を引き出すことができて、実はその方々が当たり前に意識を持ち、豊かな言葉を持っているという事実に出会うことができました。しかし、私の方法はすぐにご家族が実践できるものではありません。パソコンやソフト、スイッチなどの設定の煩雑さにくわえ、50音表を行と段とをスキャンしていくという方法のなじみのなさや、もっとも決定的なことは、合図があまりにも微妙なので、なかなか感じ取るのがむずかしいということがあるからです。
 しかし、秋以降、私は、自分のその方法はその方の気持ちをひとしきり聞いた後、いったん置いておくことにしました。そして、ペンを手に握ってもらって、字を書いてもらう取り組みを始めたのです。これは、幼い時からの障害ある人たちとの関わり合いでも使ってきたものですが、それを、意識的に活用することにしたのです。
 まず、どんな持ち方でもいいからペンを持ってもらい、ペン先があたるようにスケッチブックを出します。そして、○と×を書くことを伝えてから、最初に○を書いてもらいます。すると、ここで多くの方がほんのわずかでもペンが動き始めるのです。別に介助者が動かさなくても、ほんのわずかな動きがほとんどの方で見られました。そして、きれいな○でなくても、ともかく曲線が描かれたことが確認されたら、今度は×に移ります。すると、明らかに○の時とは違う直線を引く動きが出てくるのです。×は一筆では書けませんし、交差も必ずしもうまくいくわけではありませんが、明らかに○を書く時の曲線の動きと×を書く時の直線の動きには違いがあるのです。曲線を書けばイエス、直線を書けばノーなのでそれだけで、やりとりは成立します。
 最初の○の動きがあまりよくわかりにくい場合は、一緒に○を書いてみます。そして、その時の手に伝わってくる感じをよく覚えておいて、今度は、×を一緒に書いてみて、その動きを覚えておきます。これだけでは、ただこちらが動かしただけですから、本人の意志があるとは思いにくいのですが、ここで、あえて、○を書いてほしいと言って直線の動きをしてみたり、×を書いてほしいと言って曲線の動きをしてみると、動きにくい感じがします。それは、お願いした○と×にちゃんと一致するように手を動かした時、本人もそのように動かそうとしたのに対して、お願いしたのと異なる動きをしているから互いの動きがぶつかりあってしまうからです。このかすかな動きを読みとるとなるとなかなかむずかしいかもしれませんが、それでも、ペンの抵抗などをうまく調整しているとみなさん少しずつ動き出したのです。
 そして、何と言っても感動したのは、その場で何とかご家族の方もこの援助ができたということです。あまり比較したくないのですが、中途障害と呼ばれる方々のほうが、家族がその場でできる割合がとても高いというのが印象です。その理由として考えられるのは、長年にわたって文字を書いた経験が体の細部に宿っているということです。物心がついたころから練習してきて、無意識にすらすら書けるようになった方と、イメージの中であるいはかすかな動きを独力で繰り返し練習してきた幼い頃からの障害のある方とは、実際の練習量がちがうのだと思います。(ただ、誤解していただきたくないのは、幼い頃からの障害のある方は、練習の量が違うだけで、慣れた援助さえあれば、すぐその場で書けるということと、実際にペンを持つことなく、そこまで独自に学んできた熱い思いのことをけっして私たちは忘れるべきではないということです。)
 ところで、長い時間をかけて筆談の練習の方法を考えて来られた当事者である里見英則さんは、○×の次に、数字がいいとおっしゃっています。ひらがなよりも数が少ないのと形がシンプルだからですが、実際に、みなさん、すぐに数字もできました。数字ができれば、いろいろなことを聞くことができます。3つの選択肢のうちの何番かとか、今日の調子を5段階で表せば何段階目かなどです。そして、数字ができれば、ひらがなはすぐそこです。
 まず、こちらで決めた任意の言葉を書いてほしいと頼んで書いてもらえば、添えた手がその文字のように動くのをわかると思います。本当はもっと長く延ばすべきところが短く終わったとしても、そこにはまちがいないくその文字を書こうとする意志が介在しますし、長く延びてしまってもそれは、止められなかったからだとすぐにわかります。
 確かに、いきなり気持ちを聞いたりすると、まだ、いったい何という字を書こうとするのかわからなかったりもします。しかし、よくよく軌跡をたどってみれば何かの文字であることがわかることもしばしばです。
 こういうことが、その日のうちに起こるのです。確かにご家族がお一人でやっても、なかなかうまくいかないかもしれませんが、そういう可能性があることを今、強く訴えていかなくてはいかないと思っています。
 
2013年3月8日 01時35分 | 記事へ | コメント(0) |
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