ニックネーム:柴田保之
性別:男
年齢:56歳
障害の重い子どもとの関わりあいと障害者青年学級のスタッフとしての活動を行っています。連絡先は yshibata@kokugakuin.ac.jp です。

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2010年05月28日(金)
5月のきんこんの会のこと 6月は15日に開催します。
 5月のきんこんの会は、5名のみなさんが集まりました。司会をどうするか、発言の方法をどうするかなど、これから少しずつスタイルを作っていかなくてはなりませんが、今回は、4月の反省をふまえて、会話が平行しないように、一人ずつが発言していって、話が一本の糸でつながっていくようにしました。たまたま、3時間目の私の授業で、アイデンティティ(=私らしさ)の形成の問題を扱っており、そこに3名の方は参加したこともあって、前回の議論の中でも繰り返し語られた私らしさのことをふまえて話が始まりました。
 なお、通訳はDさんについては、お母さんによる50音表の指さしの介助、他の方は私が手を振って「あかさたな」と聞きとっていく方法をとり、終わり近くでDさんのお母さんが50音表の介助を試み、とてもうまくいきました。なお、途中Cさんのお母さんもCさんに対して50音表の指さしの介助で通訳をしました。コミュニケーションの方法も少しずつ広がりを見せています。


Aさん(女性):私の母さんのピアノを聞いているとうれしい気持ちになります。こんなに私の気持ちをすらすら言えるのは、不思議です。自分の気持ちと合っているので、信じてほしいです。よいやりかたなので、みんなにわかってもらいたいのですが、なかなか信じてもらえませんでしたから、くやしかったです。私のろうそくに火を灯してくれた先生です。よい先生でしたが、信じてもらえません。疑われていてくやしかったです。
(私らしさについて)私らしく生きることが大切だと思っています。なかなかそれを見つけるのは大変です。勇気がないので私らしさを人に伝えることが難しい。なかなかわかってもらえないので、伝えるのが難しいですから、私らしさをもっと伝えていきたいと思っています。私らしさとは、いつも夢を見ていることです。私らしさを知っているのは、お母さんと先生ですが、まだまだ私らしさを伝えられていません。私らしさを伝えたいと思います。

Bさん(女性):良い会ですね。私らしさについては、よくわかりませんが、私の私らしさについて、考えています。勇気をもらいたいと思って、今日は来ました。私の私らしさを私自身が見つけられるように、これからも一緒に考えていきたいと思います。勇気がほしいです。勇気をもらいたいです。私はもっと言いたいことがあるけれど、私の言いたいことの半分も言えてないので、私ともっと私らしく伝えていきたいです。勇気がほしいです。まだまだ勇気が足りないので、美しい気持ちになるためには、勇気が必要ですが、まだまだ足りませんから、勇気をもらいたいです。よろしくお願いします。
 俳句を作っているのでみんなに聞いてもらいたいのでよろしくお願いします。美しい歌も作っているので。

Cさん(女性):あのね、なぜ自分は何者かと考えるの? 私は私。ラフに考えよう。まだ私にはわかりません。もっと、やさしく、先生教えてよ。母を見ていると、私とは何?と考えてないよ。

Dさん(男性):先生、自分とは、ということについての質問でいいでしょうか。僕は自分を見つめる時間があまりにも長くて、たまらなくなる時もあります。障害を持ったおかげで、先日の利光さんが天井ばかりを見ている生活なんかいやだとおっしゃったけれど、今まさに僕は天井を見つめている生活をしています。自ら動けないということは、こんなにも限られた世界観を植え付けるものなのかと、本当は思っていましたが、あの授業(3時間目)では、学生が障害者に対して、かわいそうとかと思われるのも嫌だったので、言いませんでした。僕の今までの自分探しは、時間があるのに何もできない自分にどう立ち向かうかでした。僕たちは、こんなにたくさんの言葉を言っているのに、僕の気持ちを本当にわかってくれる学生が何人いるでしょうか。自分とは何もできない、悔しい存在でもあります。こんちくしょうと思っては見ても、動けない、しゃべれないという、この現実にすごく悔しい日々が続きます。文章ではかっこいいことを言っていますが、確かに介助してくれる人には感謝していますが、僕の気持ちを聞き取ろうと、ボードを持ってくれる勇気のある人がなかなか現れないのが現実です。自分はどこへ向かうのだろうか。僕の人生はこの先どうなるのだろうか。そんなことを考えさせられた授業でした。学生の中には居眠りをしていた人もいたけど、あれは、自分でできることが多い人の怠慢のように思われました。僕らは、体力もなくて、聞きたくても聞けない授業もあるのに、聞こうともしない人が小学校の先生になるのは、どうでしょうか。先生の言葉も大切だと思いますよ。教育とは人を育てるものです。僕は寝ていた人に教わりたくないです。

Eさん(女性):いつもわからないことがあります。私の意見は、運命だと思ってあきらめています。運命だからしかたないというのは、おかしいでしょうか。

Bさん:私はいつも運命だと思ってあきらめるの。運命とは、戦いたいと思っています。

Eさん:私も戦いたいと思っていますが、どうやって戦えばいいかわかりません。

Aさん:いつもみんなといっしょに戦っています。戦い続けています。私の戦いは、運命というものを、私から忘れることです。

Dさん:戦いとは相手がいることで、Aさん(女性)さんのお母さんは、Aさん(女性)に誰を戦いの相手だと言っていますか?

Aさん:私は私自身と戦っているので、誰かと戦っているわけではありません。

Dさん:自身との戦いでは、負けたとき、自分がこわれちゃうよ。

Aさん:私は別に私自身と戦っても負けるわけではありません。私の戦いは私自身との戦いですが、いつもいつも私の勝ちです。それは、私は私の運命を忘れて、私らしく生きていくことを、私に課している。あえて言えば、そういう言い方になります。勇気があれば、私はいつも勝つことができます。運命にはいつも負けたくないので、私はいつも私に勝っています。私の殻に入っているわけではありません。私の運命と戦っているので。

Dさん:社会に自身の考えを発しようよ、この会を、僕らのような障害者でもこんな熱い想いがあるということを。そう僕は思っています。

Aさん:私の中に閉じこもっているわけではありません。社会との戦いは、まだ始まっていないので、これから社会との戦いを考えたい。

Eさん:私はまだ私の言いたいことを言えていないので、私は運命のままに置かれたままになっているので。

Cさん:ねがっていてもしかたない。方法を考えよう。

Bさん:私らしくなるまでの戦いができない。自分の気持ちを伝えることができない。戦いが始められていません。

Dさん:戦いではなくて、僕らの想いを伝える詩でも文でも、君のやってる俳句や短歌でも、形になって世間に出せば、その反応をみることができる。

Cさん:Bさんさん、いい笑顔になった。

Dさん:Mくん(学生)、僕らのこの話し合いを文章にしてくれますか。学校中に配って。僕はせっかく作ったこの会を、どうにかして社会とのパイプにしたいと願っています。それには、ここに来てくれた動けるいい人たちにお願いして、助けてもらいたいと思いますが、どうでしょうか。

Eさん:どうやっていったらいいのか、よくわかりません。私の言いたいことを歌にしてみたけど、あまりわかってもらえませんでした。わかってもらったのは、仲間ばかりでしたから、私はまだ社会の人がわかってくれたとは思いません。私の歌はわかってくれたのは、いつも仲間ばかりでした。もっともっと勇気を持っていきたいと思います。

Aさん:歌を聴かせてください。

(Eさんが作詞した『野に咲く花のように』の歌を流す。)

野に咲く花のように私はばてない
無理せず生きてゆけばいいこともあるはず
遠くに舞い降りた鳥のように見える
希望に向かって呼んでみよう
願いはただ一つ
たとえ道は遠くても夢さえなくさずにいけたらと思う

目の前に続く道は楽な道ではないけれど
へんてこな私だって戦い続けていきたい
悩みがあまりに多くて前が見えなくなっても
野に咲く花のような気高さでもって生きていこう
いつまでもへこたれないで

Aさん:私にはとてもよくわかりました。私には、Eさんの戦いがよくわかりました。

Dさん:僕は全然それでは進まないと思うけど、だから、号外を出して。ひとりひとりの意見をまとめるというよりも、ひとりひとり

にこんなにたくさんの想いが詰まっているんだと、知ってほしいです。F君(学生)、M君と一緒にお願いします。僕も本当は動いてみたいですが。

Eさん:私の言いたいことを、忘れてしまっていました。弱気になっていました。歌を作った時は、そう思っていたけど、わかってもらえないので、弱気になっていました。私の言いたいことは、私が忘れてはいけませんね。私が言いたいことを大切にしていきたいと思いますので。まだまだわかってもらえません。

Bさん:言いたいことがいっぱいあるけど、伝わらないのが悲しい。私の言いたいことはいつもわかってほしいということです。
(Dさんの母の50音表の介助に変わってみる)
Bさん:Bちゃんはとても手が動きにくいけど、気持ちはいっぱいあるよ。みんなの意見もすごくすてきだし、Bちゃんだって負けてないよ。気持ちはたくさんあるから、短歌も作っています。みんなと社会に発信できることを初めて聞き、うれしく思いました。学生さんが、あんな風に手伝いを簡単に引き受けてくれるなんて、うれしくてうれしくて夢のようです。Bちゃんって、(自分で)自分のことを言ってたの、ママは知っていますか。ママ、私はBちゃんって言っていますよ。いい子です。ママをとても愛しています。いつまでも私と短歌を作り、それを社会に出せたら素敵ですね。いい会になりそうです。お友達も増えて、とてもうれしいです。Bちゃんは幸せ。先生、素敵な会を思いついてくださって、本当にありがとうございました。Bちゃんは幸せ。みんなも幸せ。M君、F君もいい人ですね。会えてよかったです。

Aさん:(Dさん(男性)の母のボードの介助)
 私はもっと話がしたい。みんなに負けない気持ちがあります。Aさんはちょうちょになります。たくさんの友達、素敵です。M君、素敵。私も握手をしたかったのに、おばさん気をきかせてね。たくさん話したい。私だって生きています。気持ちもあるよ。みんな見て、私がいることを。みんな、知って。いい日になれたな。

 一人一人の気持ちを聞き取ることから互いの語り合いへと、新しい時代が切り開かれてきました。それは、まだ、密かな到来ですが、歴史の歯車が反対に進むことはありません。日本の障害者の歴史の大きなターニングポイントは1970年だと言われます。これは、主として身体障害のある人々を中心としたものでした。その20年後の1990年、知的障害者の本人活動のスタートが切られました。そして、今年はその20年後にあたります。言葉を閉ざされてきた人たちの新しい時代の始まりであることを私は確信しています。
 
 次回のきんこんの会は、6月15日に開催します。
  
2010年5月28日 13時38分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2010年05月16日(日)
母に捧げる言葉と夕焼けの詩
 母の日に20代の女性○○さんはこんな言葉を母に捧げた。

 ありがとうおかあさん。鏡の前でかあさんが咳こんで苦しそうにしていたので、心配していました。小さいことでも気になります。人間だから気持ちが言いたいですが、かあさんに無理してもらうのは気が引けますから家では(言葉を読み取る練習は)もういいです。頑張らないでください。かあさんに申しわけありません。あんなに無理しているのを見るのはつらいです。家出はふだんのままでいいです。自分の気持ちの言葉はどんなふうにしても伝えられません。悲しいですがわかってもらえるだけでいいです。わかってくれさえすればいいです。
 夏を待ち望んでいます。夢は夏らしい夢をかなえることです。海水浴に行きたいです。小さい頃によく行きました。小さい頃、夕方によくやわらかな夕焼けがろうそくのあかりのように見えましたが、なかなか見えません、最近は夕焼けが。じっとかあさんの胸にだかれてよく散歩をしたものです。夕焼けがとても好きでした。苦しいことや悲しいことも夕焼けを見ると希望に変わりましたから。人間として満足に希望をかなえることもできなかったけど、希望だけは失いたくないと思いながら今日まで生きてきて、人間らしい未来をつかみたいとよく願ってきましたが、なかなかむずかしかったです。なんで私だけこんなに苦労するのかと思ったことも少なくありませんが、泣かないでこれたのは、いつもやさしいかあさんととうさんがいてくれたからです。泣かないでこれたのはかあさんが鏡に向かっていつもお祈りをしてくれたからです。かあさんはいつもいい大好きなかあさんです。(鏡に向かって祈るとは)鏡に向かうとよくひとりごとを言っていることです。私のことをよく話してくれます。
 敏感ないいかあさんなので、いつまでも長生きしてください。小さい夢ですがかあさんに指輪を買ってあげたいです。ルビーの指輪がいいと思います。(お母さんは、病気の関係で指輪はできないと伝えると)悲しいです、夢でしたから。何かほかの飾りでいいから買ってあげたいです。自分では買いにいけないのでかわりに買ってください。私の貯金で。年金があれば使ってください、たまには。みんなもきっと同じだと思います。分相応のものでいいから買ってください。かあさんに買ってあげたいとずっと願ってきました。人間だから何かいい方法で感謝をしたいです。いい方法はないでしょうか。書いただけではなかなか伝わりません。自分の気持ちをかたちにしたいです。かあさんに伝えたいです。よいかあさんだから。


 そして、

夕焼けの悲しい色のような歌を聞いてください。

と書いてから、夕焼けの詩を綴った。○○さんは未熟児網膜症なの絵、ずっと私たちは見えていないと思っていたのだが、わずかに残された視力で彼女は、夕焼けをしっかりとらえていたのだ。

悲しい夕焼け小さい胸に
ろうそくのあかりをともして消えた
光のむこうの暗闇を私は澄んだ瞳で見つめ
悲しい物語をそこに見る
人生の片隅のひそやかな願い
ろうそくの光をともしておくれ
光はいつも泣いている私に希望を与えて
私をあしたの見たい世界に連れていく
美から目ざめた願いの未来
ろうそくのあかりを空にまた
体中まで赤くして私らしく生かしてほしい
ランプのような夕焼けは
晩の暗闇を泣かないようにしてくれる
人世の片隅で
願いを未来につなぎながら
小さい夢を
未来にいつか冒険のように
よく実らせよう


   
2010年5月16日 21時44分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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きんこんの会5月18日のお知らせ
 すっかり間際になってしまいましたが、改めて、5月のきんこんの会についてお知らせいたします。
 今月は、18日火曜日です。3時から私の研究室のそばにあるゼミ室を使用して、行いたいと思います。
 今回は、特別な企画はありませんので、ゆっくりと語り合いながら、これからのことなど、話し合っていけたらと考えています。
 お車で来られる際は、正門を入った駐車スペースに止めることができますので、駐車した後、受付で駐車許可のカードをもらってください。わかりにくいこと困ったことがあったら、どうぞご遠慮なく携帯にお電話ください。
 この日の私の講義は2時間目が411教室で「ボランティアと社会参加」(午前10時40分〜12時10分)、3時間目がAV1教室で「発達と学習」(午後1時10分〜午後2時40分)です。授業への参加も大歓迎です。
 参加できる方は、ご一報いただけるとありがたいですが、突然いらしてもまったくかまいません。
 よろしくお願いします。
2010年5月16日 21時34分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2010年05月03日(月)
きんこんの会の報告とお知らせ 5月は18日です。
 5月のきんこんの会は18日に行います。時間は、3時からです。2時間目と3時間目の授業に参加してくださる方、大歓迎です。
 また、近づいたら改めてお知らせします。以下、4月の会の報告です。

 4月27日にきんこんの会が開かれた。集まったのは援助によるコミュニケーションによって気持ちを表現する11人のメンバー。そのうち6名は親御さんによる通訳で、その手段の内訳は、50音の文字盤2名、ローマ字の文字盤1名、パソコンの2スイッチワープロ1名、あかさたなと聞いていく方法1名であった。そして私はあかさたなと聞いていく方法で5人のメンバーの通訳をした。
 当日は脳性マヒの当事者で言語障害はありながらも自由に音声言語は操って地域で福岡で自立生活を営む利光徹さんを2時間目と3時間目の講義のゲストに迎えていた。メンバーの幾人かは3時間目の利光さんの講義から参加した。発達と学習という講義題目なので、半ばこじつけながら、利光さん自身の青年期のことを語っていただいた。利光さん自身生涯でもっともきつかったという孤独な閉ざされた10代の半ば、突然、親から、自分たちが死ぬ時は一緒に死んでくれと告げられ、まだ何一つやりたいこともやっていないのに、死ぬわけにはいかないと思いつつも、その先が見えない苦しみの中で、仲間の集まりに通うようになる。一歩町に出てみると、バスの乗車拒否に始まり、喫茶店の入店拒否など、たくさんの理不尽な差別にさらされた。そこで、しだいに気づいていったことが、なぜ自分たちが当たり前に生きてはいけないのかという思いだった。利光さんたちを阻んだのは社会の厚い常識の壁だったが、利光さんたちの闘いは、その常識の壁を打ち破っていくことだった。そして、26歳のとき、今やらなければ一生もうそのチャンスはないだろうと考え、家出同然でアパートを借りて自立生活を始めるにいたったという。
 自力で話ができるということにおいては状況が異なるとはいえ、社会の常識の壁に阻まれて当たり前のことが当たり前のこととして認められないということにおいては、同じ状況にあるメンバーにとって、みずからが直面している抜き差しならない問題そのものが語られていく。中には、話に共感するあまり、声が出てしまうメンバーもいた。
 そして、授業のあと、教室を借りて、きんこんの会が催された。話題は、もっと勉強がしたかったということや、どうやったら自立生活ができるのか、親との関係はいかにあるべきかなど、それぞれが様々に語った。これまで、ともすると個別的な関わり合いに終始しがちだった関係が、横につながるということの意味の大きさを痛感させられた一日となった。まさに青年期のただ中にあり、しかも、未来が容易に見えないという状況の中を生きる若者たちの言葉を聞きながら、利光さんの発した言葉は、よくみんなしっかりものを考えているということだった。もちろん、それは、利光さんが差別を見つめることによって確かな生き方を見いだしたことと相通ずるものである。言葉を禁じられるという厳しい状況の中で研ぎ澄まされてきた気持ちが、おのずと、深い意見を引き出していたと言える。そして、利光さんは、みんなの課題は、私や家族ではない学生のような存在に、通訳者を見いだすということだと語った。
 まだ、手探りの会だが、新しい時代を切り開く動きの一つとなったらと心から祈っている。
 会の後、居酒屋で二人になると、利光さんは、社会に迷惑をかけないということにしばられていた自分の母親の時代に比べて、確かに、今の母親の意識は大きく違っていると感想をもらした。そして、通訳の方法について、彼らが話しているということを自分はまったく疑わないと言った。それは、本人を見てればわかると。自力で話すということにおいては、利光さんは私たちと同じ側にいる。しかし、やはり、利光さんは、彼らの気持ちのすぐ側にいるということがわかった。
2010年5月3日 23時34分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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