以前に予告しましたが、援助によって気持ちを表現している人たちがともに語り合う場である「きんこんの会」を4月27日、國學院大學たまプラーザキャンパスの柴田研究室にて開催いたします。
参加はご自由ですが、人数をあらかじめ把握しておきたいので、ご一報いただけると幸いです。大学に到着した際のご連絡方法なども打ち合わせておきたいと思います。
時間は、次のようになります。当日2時間目と3時間目は授業があるのですが、ご希望の方は、そこからご参加下さい。この日は、利光徹さんという福岡市で自立生活を送る脳性マヒ者の利光徹さんという私の授業の常連のゲストに来ていただき、2時間目と3時間目では彼を交えた授業を行います。
きんこんの会 午後3時から 柴田研究室にて(2号館5F)
2時間目の授業「ボランティアと社会参加」 午前10時40分から411教室
3時間目の授業「発達と学習」午後1時10分からAV1教室
終わりの時間は特に定めていません。(利光さんとは夜まで約束しています。)
初めての試みなので、いろいろと行き届かないことも多々あるかと思いますが、よろしくお願いします。
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2010年4月18日 10時28分
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大学 |
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3月の終わりまでにTさんから届いたメールをためてしまった。最新のものを含めて、紹介したい。
外へでかけたいよ。遠くに行ってみたい。変な道だけど前へむかってもりあがろう。苦しいときほどみんなでもりあがろう。好きな人といっしょに住みたい。ロケットに二人で乗って宇宙へ飛び出したい。愛する人と住みたい、二人で住みたい。(1月26日)
手を伸ばしてほしい。言うのは大変。いのちつなぎたいけれど生きるのは大変。死んでしまうのはいやだ。少ない人生でも大切に生きたいと思う。私はみんなといっしょに仲間と暮らしたい。手が勝手に動いてつらい。力を弱められない。変な気持ち。(2月9日)
車で外へでかけたいと思う。遠くまで友達と行きたい。手や足を使ってほかのところへ行ってみたい。足でも使って遠くへ行ってみたい。何とかして遠くへ行きたい。たおれてしまうかもしれないけれどもがんばって進んでいきたい。普通に暮らせるように歩いてゆきたい。(2月23日)
夢はロケットに乗って遠くへ行くことだ。二人で探したい夢の子ども。まだ見たことのない夢を探しにいきたい。ろけっとに乗って探しにいきたい。すてきな星を見つけて願いをかなえたい。好きなすてきな人と一緒に星で住みたい。苦しいときにも二人で乗り越えていきたい。未来は遠いけれどあきらめずにがんばっていきたい。とてもむずかしいことだけどがんばっていきたい。(3月9日)
伝えたいことは苦難の試練乗り越える大変さです。結婚できない事実を認めていくことはとてもできないことです。何とかして結婚して願いをかなえたいです。勝手に体が動いて、困ります。すぐに好きな人と遠くへ行きたい。好きなドラマみたいに遠くに行ってしあわせに暮らしたい。花のきれいなところに行きたいと思います。季節は変化して夏になって実のつくくだものがたくさんできます。木は大きくなって花はすてきな実をつけます。好きな外で遊びたいよ。秋になれば何もかもが赤く紅葉してすてきな景色になります。冬になると空気は冷たくなりみんな車に乗って暖かいところへ逃げていきたい気持ちになります。ぼくは一人になって次の春を待ちます。(3月23日)
へぼな僕ですがのんびり生きてはいられません。のんびりとはしていられない理由は長くは親が生きているわけではないからです。何か新しいことを考えなければなりません。おそかれはやかれ親からはなれて暮らさなければなりません。そのためにはたぶん一人で暮らす方法を考えなければなりません。友だちと手をとって共同で暮らしていきたい。何とかしてみんなで生きていきたい。まつださんもいっしょに暮らしていこう。もっといっぱいの仲間を集めよう。苦しみをン堀越えるために集まろう。友だちに伝えたいことはもっと願いを持とうということです。(4月13日)
自立への思いが語られるとともに、しだいにそのかたちの輪郭がくっきりとしてきたことが伝わってくる。残念ながら、まだ、その具体的な方策は見えてこないが、大切なことは、表現を綴ることだ。そして、表現する相手はきっと自分自身でもあるはずだ。
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2010年4月17日 08時45分
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3月の終わりまでにTさんから届いたメールをためてしまった。最新のものを含めて、紹介したい。
外へでかけたいよ。遠くに行ってみたい。変な道だけど前へむかってもりあがろう。苦しいときほどみんなでもりあがろう。好きな人といっしょに住みたい。ロケットに二人で乗って宇宙へ飛び出したい。愛する人と住みたい、二人で住みたい。(1月26日)
手を伸ばしてほしい。言うのは大変。いのちつなぎたいけれど生きるのは大変。死んでしまうのはいやだ。少ない人生でも大切に生きたいと思う。私はみんなといっしょに仲間と暮らしたい。手が勝手に動いてつらい。力を弱められない。変な気持ち。(2月9日)
車で外へでかけたいと思う。遠くまで友達と行きたい。手や足を使ってほかのところへ行ってみたい。足でも使って遠くへ行ってみたい。何とかして遠くへ行きたい。たおれてしまうかもしれないけれどもがんばって進んでいきたい。普通に暮らせるように歩いてゆきたい。(2月23日)
夢はロケットに乗って遠くへ行くことだ。二人で探したい夢の子ども。まだ見たことのない夢を探しにいきたい。ろけっとに乗って探しにいきたい。すてきな星を見つけて願いをかなえたい。好きなすてきな人と一緒に星で住みたい。苦しいときにも二人で乗り越えていきたい。未来は遠いけれどあきらめずにがんばっていきたい。とてもむずかしいことだけどがんばっていきたい。(3月9日)
伝えたいことは苦難の試練乗り越える大変さです。結婚できない事実を認めていくことはとてもできないことです。何とかして結婚して願いをかなえたいです。勝手に体が動いて、困ります。すぐに好きな人と遠くへ行きたい。好きなドラマみたいに遠くに行ってしあわせに暮らしたい。花のきれいなところに行きたいと思います。季節は変化して夏になって実のつくくだものがたくさんできます。木は大きくなって花はすてきな実をつけます。好きな外で遊びたいよ。秋になれば何もかもが赤く紅葉してすてきな景色になります。冬になると空気は冷たくなりみんな車に乗って暖かいところへ逃げていきたい気持ちになります。ぼくは一人になって次の春を待ちます。(3月23日)
へぼな僕ですがのんびり生きてはいられません。のんびりとはしていられない理由は長くは親が生きているわけではないからです。何か新しいことを考えなければなりません。おそかれはやかれ親からはなれて暮らさなければなりません。そのためにはたぶん一人で暮らす方法を考えなければなりません。友だちと手をとって共同で暮らしていきたい。何とかしてみんなで生きていきたい。まつださんもいっしょに暮らしていこう。もっといっぱいの仲間を集めよう。苦しみをン堀越えるために集まろう。友だちに伝えたいことはもっと願いを持とうということです。(4月13日)
自立への思いが語られるとともに、しだいにそのかたちの輪郭がくっきりとしてきたことが伝わってくる。残念ながら、まだ、その具体的な方策は見えてこないが、大切なことは、表現を綴ることだ。そして、表現する相手はきっと自分自身でもあるはずだ。
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2010年4月17日 08時45分
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見学に来てくださったかつての担任K先生を前に、高校2年の○○君は、様々な思いを語った。K先生に会うまでは、勉強らしい勉強はしてもらえないグループにいたが、K先生のおかげで少しずつ言葉を使った「普通の」学習になって、K先生の手を離れるころには、何とか学習のグループに入ることができるようになっていた。
K先生こんにちは。もう先生が転勤されて三年もたちましたね。みんなK先生みたいな先生だといいのだけど。夢でしたから、勉強を教えてもらうのが。勇気をもらいました、先生からは。わかってくれた最初の先生でしたからたいへん感謝しています。会えてうれしいです。学校ではなんとか勉強をしてもらっていますが人間だからもっと考えたいです。いい友だちもほしいです。夢でしたから。場ちがいなことばかりの学校の勉強はどうしても友だちがかわいそうです。
来年の夢は地域で生きていくことなのでなんとかいい場所を探したいです。いい場所に行きたいです。人間として認められる場所です。なかなかみつかりませんが地域で生きていきたいのでよろしくお願いします。自分の夢は理解される場所で理想の人間になることですが未来は理解される世の中になるように若者のたちで運動していきたいです。
自分でもがんばったけどK先生のおかげです。なかなかK先生のような先生には会えません。ちがいはいちばんは気持ちだと思います。
人間だからなんとなく考えただけでもきちんとした言葉になります。なんで人間を強調するかというとみんなぼくたちを人間として見ないからです。考えているということを認めてもらえないからです。
自立がしたいけど夢のようです。なかなかよい場所が見つかりません。なんとかして見つけたいのですが、みんなぼくたちをわかっていないと決めつけていて困ります、人間だからなかなか言葉が話せなくてもちゃんと考えています。未来はもっと理解してくれる世の中になるといいと思いますが未来はまだ遠いです。
仲間はたくさんいますからみんなで訴えていきたいです。勇気がほしいです。満足いくところはなさそうだけどなんとかがんばるつもりです。わかってくれてうれしいです。なかなか学校の先生はぼくの言いたいことまでは理解してくれませんから言いたいことは学校では言えません。
(みんなで語り合う場を作りたいという考えについて)
まさかそんなことを先生が考えているとは思いませんでした。いい考えですね。学校では無理そうですね。自立についてみんなで語り合いたいです。
こうしたやりとりのあと、彼は「勇気がほしい」と語り始めた。もともと言うべき時には言ってきた○○君だから、勇気がないとはとても思えないが、そこには、また別の問題があることがうかがえた。
悩みは勇気をどうやったら持てるかということです。勇気がないとぼくは言いたいことが言えません。なかなか勇気が出てきません。学校の先生に言えないというのが内容です。別にどう言われてもだいじょうぶだけどあきらめの気持ちが先立つと無力感が湧いてきます。無力感の越え方はあるのですか。
勇気といっても、引っ込み思案の自分を奮い立たせるというような意味ではなく、いくら伝えようとしてもうまく伝えられない無力感を越えるための力として、勇気がほしいと言っていることがわかった。わかってもらいたくてもわかってもらえない無力感は、われわれの想像をはるかに越えるようなものなのだと思う。私自身の無力感などは、たいしたものではないと思うけれど、私がそこから得た教訓は、無力感はうまくやり過ごさないとたいへん消耗をしいられるものということだった。まさに、私が行っている障害の重い方々の言葉の読み取りは、疑いのまなざしにさらされる。そして、いったん疑ってかかっている人にどのようにわかってもらう努力をしても、まったく通じないことも少なくない。そんな時の無力感は、私自身にとっても相当こたえるものだ。そんなことを○○君に伝えた。
無力感と向き合いすぎると消耗するというのはおもしろい考えですね。無力感とたたかうことがぼくもつらいので勇気がほしいけどほんとうは勇気の問題ではないのかもしれませんね。勇気がないと思うとだんだん自分がみじめになるからだろう。それはまちがいだとよくわかりました。挽回できそうです。
自分がみじめになってはいけない、逆に○○君から教えられた思いがした。ふだんから、よく考え抜いている○○君ならではの答えだった。
そして、次のようにしめくくられた。
小さいときはあきらめていたけどまるで変わることができたのはK先生に会えたからです。地域で生きていくためには理解者を増やす必要がありますがうまくいくでしょうか。なかなかできそうもありませんがなんとかしたいです。はい。なかなかむずかしそうです。じたばたしても始まらないということはよくわかりました。勇気がないわけでもないこともわかりました。人間としていずれきちんとした人生を送りたいたいのでよろしくお願いします。
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2010年4月12日 11時50分
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自主G23区2 |
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今日は、あまりご機嫌がいい様子ではなく部屋にはいってきた○○君に理由を尋ねる。手を振る方法で彼が答えたのは、「歌が歌えないから」だった。そして、「どんな歌?」と尋ねると、「森のくまさん」だという。そして、私が歌い出すと、激しく頭をたたき、「歌えないからくやしい」と伝えてきた。歌が聞きたいわけではなかった。歌いたかったのだ。そして、高ぶる気持ちを抑えるように、横になった彼に、歌ってごらんというと、メロディや言葉にはならないけれど、明らかに、「森のくまさん」と思われる声が発せられた。「ぼくらにはわかるよ、森のくまさんを歌っていることが」と伝えると、もちろん満足したわけではないだろうが、少しずつ落ち着いてきた。そして、パソコンを出した。
小さい時からわかっていることをわかってほしかったです。わかってほしいです。なぜ歌を歌えないのでしょうか。
くやしいです。わかってほしいです。理解してほしいです。わかってほしいけどぼくのふだんの行動を見たら無理でしょうね。
○○君は、手を服の中にしまうことが多い。人前でそれをやられると、おかあさんもたいへん参ってしまうとのことをおっしゃっていた。今日は、特に、それが目立ったらしい。そこでその理由を尋ねた。
手を服に入れるのは気持ちを落ちつかせるためです。なぜそんなことをしないといけないのか不思議ですが忘れられないのは、ぼくをわるくいった先生に、
というところで、突然彼はすっくと立ち上がっていってしまった。きっと、何か思い出したのだろう。彼が手を服の中に入れ始めたのは、高等部のころだ。その頃、突然、掃除用具入れの中に閉じこもるということも耳にしていた。何か、つらいことが、彼をより落ち着かせなくしたということは大いに考えられる。
そして、また、戻ってきて文を続けた。
自分でもわかりません。なぜ歌のことが気になるのか。でもくやしいです。理想はわかってもらうことです。
満足のいく子どもこどもになれなくて悲しいです。分相応の生き方はいやですがなんとかしたいです。
ぼくも話したいです。理想はいいたいことが言えて、もっといい人になりたいです。もっといい子どもになりたいから、悲しいです。ぼくもわかってもらいたいです。夢でしたランプのあかりをつけたいですす。ぼくもわかってもらいたいです
通所先では、自閉症の作家として知られる高校生東田直樹さんの本を施設長の方が紹介したということをお母さんが、おっしゃった。そこで、彼にも尋ねてみる。
(通所施設では、自閉症と言われる人がわかっていることを理解してもらえているんですね。)
はい でも ぼくがはなしがわかっているとはおもってはいません
(本を書いた人の話は聞いたんでしょう?)
はい ぼくも そのはなしはききました。うらやましいです。ぼくもわかってほしいです。
(1年半前に突然ぼくが○○くんに文字を出したのを覚えてますか?それは、その少年の話を実際に聞いたからです。)
そうだったんですか。望みはぼくもなんとか自分の気持ちを伝えたいです。わかってほしいです。夢のようです、言いたいことが言えて。ぼくもどこかの国に行ってしまいたいです。願いは地域で生きていくことですがなかなかうまくいきません。
ここで、お母さんは、○○君に、どうしても半信半疑になってしまうから、お母さんと二人だけの秘密を書いてほしいとお頼みになった。○○君自身も言うように、目の前で紡ぎ出される言葉と普段の行動とのギャップがどうしても埋まらないからだ。すると、彼は、次のように述べてから長い文章を綴った。
物語を作ります。
望みをかなえたい子どもがいました。その子の願いはゆりの花をかあさんにあげることでした。ゆりの花はかあさんの好きな花でした。ゆりの花の咲くマントはどこにあるのでしょうか。近くの町に買いに行きましたが見つかりません。望みをかなえたいのでその子は旅に出ることにしました。旅はまだまだ続くでしょうがけっしてもとの町にはもどらずに前に向かっていこうと思いました。
(お母さんがゆりの花が好きだということを伝えたかったのですか。)
はい。
書かれた文章を見て、お母さんの表情がぱっと笑顔になった。ゆりの花が好きだと改めて思ったことはないが、ゆりの花のきれいな場所に何度も行ったとおっしゃった。
言葉をいくら綴っても、なかなか普段の行動が変わっていくわけではない。ご家族の日々の思いを考えると、言葉とのギャップをどう考えるのか、私もとほうにくれてしまう。しかし、いちばんそのことに悩んでいるのは、○○君自身であろう。そして、この物語の中には、そうした思いを根底にかかえながら、それでも何とか未来を見ようとしている○○自身の切ないばかりの思いが見えた。
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2010年4月11日 08時24分
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